渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

寄席

2021年09月06日 | open


住んでるとこからサクッと寄席に行
ないてのは、ちょいと淋しい。
つーか、かなり淋しい。
落語はなんとか会館とかかんたら劇
で聴くのではなく、寄席で観るの
が一番いい。
あと、寄席では落語までの出し物が
構面白い。
歌舞伎は英語紹介では「大衆演劇」
かにされてる。ある外国人が歌舞
伎を大衆演劇と呼んでいたのでこち
とらとんとハテナだった。
そりゃ江戸時代の話だぜ、と。
今では梨園だ家柄だとミョウチクリ
な事になり、格調高い芸術かのよ
うに扱われるようになってしまった。
元々は、上方の漫才のようなもの、
喜劇のようなものであり、今の寄
席での出し物のような大衆と密着し
た真の大衆演劇だった。
能も元来そうであったのだが、いつ
の頃からか高尚なものへと分化し、
同系の大衆密着系は盆踊りとして大
衆に親しまれて来た歴史がある。
だが、現今では、盆踊りさえ音が迷
惑だとしてザーマスの一族が騒ぎた
て、消滅の危機にある。
除夜の鐘の音が迷惑だと公言して憚
らない種族たちは、大衆に歓喜の声
や感嘆の声にさえも沈黙を強要する
葬式のような社会を創ろうとしてい
る。
深夜の公園でのパリピの花火騒ぎと
除夜の鐘を一緒にされたら、世の中
お先真っ暗だ。
迷惑だとして海の家から加山雄三が
流れない夏の浜辺。どんちゃん騒ぎ
のない通夜のような都内の花見。
明らかに何かがおかしい。
そのうち全員、首の後ろにバーコー
ドを埋め込まれる事を謀り出すぞ、
まじで。

最後の大衆演劇の解放区である演芸
場の灯火だけは消してはならない。
大声で人が笑える場を奪ってはなら
ない。

(末広亭/新宿)


(浅草演芸ホール/浅草)


(鈴本演芸場/上野)


(池袋演芸場/池袋)


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