Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

イタリアを行く14 パラティーナ美術館、美女絵画の数々。

2014-10-10 08:29:21 | 2014sepイタリアの旅

私が人生をやり直せるものなら・・と夢に描くのが・・・

「緑豊かなキャンパス内を歩く19歳のかりー・・・顔見知りの男子が声をかける
・・かりーってさ、どこだっけ?・・・私?美美よ~
なーんのこっちゃ?って 美美とは美学美術史学専攻の事であーる
リベラル・アーツの知識が湯水の様に詰まった頭を持ち合わせる人間の集まり。
へへへ・・これ私の勝手なイメージね

この様に人生をやり直せたら・・・と思うのは私は全く美術の事なんかわからない
人間だからに他ならないのであーるなので「美学だよ、美学」と思うのだ

まあそんな私が名作の数々を紹介するのもなんですが・・・ 

 

このパラティーナ美術館でまず印象に残った作品がこちら

「ホロフェルヌスの首を持つユディット」クリストファノっていう画家の作品。
カラバッジョの影響を受けアレサンドロ・アッローニの息子なんだって・・・
この首は自画像でユディットは恋人がモデルと言われているんだよ。 

ユディットって聖書に出てくる未亡人ユディット。敵が攻めてきた時にセクシー作戦で
敵の大将ホロフェルヌスを虜にし「いよいよ・・ヒヒヒ・・」とイヤらしい顔でベッドに入った
ホロフェルヌスの首を落としたという恐ろし~ぃ美女

この逸話から「ユディット・コンプレックス」という言葉が生まれました。

ウィキによれば「ユディットコンプレックスとは自ら進んで強い男に身を任せたい強い願望と、 
 
それにもかかわらず支配はされたくはないという精神状態を表す概念である。 」

「優しい顔してあの~子♪ わりとやるもんだね~と♪」って感じですね「わりと」じゃねーわ

 

そしてルネサンスの三大巨匠の一人であるラファエロ・サンティ特集!最初は「大公の聖母」

これ聖母なので、もちろんマリアとイエスの聖母子像です。
なぜに余計な「大公」と付くかって?それはこの絵の主ロレーヌ家フェルナンド3世の
大変なお気に入りで旅行の時でも手放さなかった位の絵なので「大公の聖母」というのです。 

ハイ次!

「ヴェールを被る婦人の肖像」通称「ラ・ヴェラータ」
やっぱり上昇志向のある男は上司の進めた女性と結婚するわけよ。
でもいつまでも忘れられない真の恋人パン屋の娘フォルナリーナを描いた
ラファエロ痛恨の一作。 

教会の祭壇画の依頼で描かれた下の絵「天蓋の聖母」を完成させぬままローマに招聘されたラファエロ。

3mの大きな作品。未完だったので弟子がその後、手を入れたとされたけれど
修復時の鑑定の結果ラファエロの筆だけによるものと分ったんだって・・・
フィレンツェで習得した技術の集大成の作品。聖母子をとり囲む天使と
聖ペテロ、聖ブルーノ、聖ヤコブ、聖アウグスティヌスが囲んでいる構図。
いや~天使を描かせたら天下一品だねラファエロは。 

そしてなんといっても傑作中の傑作と言われている「小椅子の聖母像」

トンドと呼ばれる円形画。「一人の美しい女性を描く為には美しい女性をいっぱい見る事」と
言いきった彼の事、ローマにラファエロが住んでいた時
路地をフラフラしていて幼い子供と遊んでいるベッピンさんに目がハート
その場でモデルを頼みその為に近くにあった樽の上に座らせて即興で描いたと
言われています。 

右にいる少年ヨハネはなぜ寂しそうなんでしょうね~?

もちろん、まーだまだラファエロ絵はたくさんありますよ~

他の絵も紹介しなくちゃね・・・ここからはパラティーナ美術館美女特集!
ここに嫁いだ姫達。
これは私が「なかなか美女よの~」と思った独断と偏見のラインアップ。 

フィレンツェでは美女と言えば下ネタ・・ではなく「シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ」
でボティチェッリが彼女を描いた作品もここにありますが無視して・・・ 

「青い服の婦人の肖像画」ティツィアーノ。

これはナポレオンによってパリに持ち帰られてしまった作品の一枚。
あの「会議は踊る」で有名なウィーン会議の決定でフィレンツェに無事戻ってきました
衣装が豪華ですよね~これは3年前に修復を終えたばかりとあって美しい色彩でした。 

 

ここから18~19世紀と新しい絵画になります。ルネサンス期の様な重厚さは感じないものの
ここに嫁いできたのはなかなかの美女だったのですね~。 

この方は美女と言うよりあの時代の(って・・どの時代だよ~)ファッションがオサレ~

 トーシローのワタクシ思うに、フィレンツェほど絵画を美しく保っている都市はないのではないか?
フレスコ画にしても当時の色彩が美しく新鮮ささえ感じさせます。
フィレンツェの修復技術、またそれに携わる人々の多さの為なのかもしれません。