田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

高良大社の参道を登る

2020年05月24日 | 日々の出来事

 少し前に高良大社の奥の院に行ったとき、急坂を登るのに脚力の衰えを感じました。だからというわけではありませんが、もう一度高良山に登ることにしました。山に登るというよりも、中腹にある高良大社への参道を上がります。麓にある二の鳥居から出発します。 

 鳥居の前を耳納スカイラインへ通じる車道が通っています。

 この石段を登っていきます。石段というよりも、平らな石を階段状に置いただけです。自分の足に合わせて、歩きやすいところを右や左へと動きます。写真は感度をあげて撮っています。

 30年前に中国の黄山に行ったことがあります。あちらでは山上に至るまで立派な石段が整備されていて驚きました。でも却って疲れが増しました。自分の歩幅で登るのではなく、石段に足の運びを合わせなければならないので、逆効果なのです。

 ここはむき出しの岩盤が多いところです。左に見える石囲いは「馬蹄石」。岩盤の一か所が窪んでおり、高良の神が乗った馬の蹄の跡と伝えられています。高良山を神籠石と呼ばれる石が取り囲んでいますが、中世の縁起書にはもともと「馬蹄石」が神籠石であったことが記されています。

 これが神籠石。2年前に投稿した写真です。1.5キロにわたり切り石が山腹を取り囲んでいます。明治以来、神域説と山城説の論争が続いていましたが、いまでは古代の山城跡とされています。

 久しく登らないあいだに、参道脇にはアジサイや紅葉などの名所ができていました。九州オルレのコースにもなり、新しい遊歩道もあるようです。

 これもその一つ「夫婦榊」 二本の木が枝でつながっています。 

 休憩所です。私が高校生の頃まではここに茶屋があり、お年寄りが店番をしていました。自動車道が出来る以前は、参詣者はこの道を登って高良大社にお参りをしていたのです。昔は麓にある参道沿いの商店で杖を貸し出していました。

 旧宮司邸の門です。古より高良山は神仏習合の山で、山中には26か寺がありました。ここはそれらの元締めの本坊があった所です。明治初年以降の一連の神仏分離令により高良山から仏教は一掃され、明治2年の版籍奉還後は藩主の有馬頼咸がここに居を移しました。廃藩置県後は高良大社の宮司邸となりました。いまでも参道周辺には寺跡の平地が残っています。

 山中に咲くツツジ。

 ここだけ参道と自動車道が交差しています。

 国天然記念物の孟宗金明竹の林です。節と節の間に緑と淡い黄色が交互に現れます。金明竹は全国にありますが、孟宗の金明竹は数か所しかないそうです。

 高良大社の下にある下向坂の鳥居まで来ました。二の鳥居からは、健脚なら30分ほどです。この坂は昔の参道で、登る人は少ないです。

 いまはこの石段を上ります。横には簡易モノレールが設置されていますが、コロナ対策のため運行が停止されていました。

 石段は131段あります。この日はその気になりませんでした。参詣はまた次の機会にします。

 石段下からの眺望です。高良山は耳納連山の西端に位置し、筑紫平野に突き出た自然の要害となっています。このため古代よりこの平野で戦いが行われ、多くの武将が高良山に本陣を構えました。

 日本書紀によると、6世紀に起きた筑紫の君磐井の乱では、眼下に広がる御井郡(みいのこおり)が決戦の舞台となりました。南北朝時代の懐良親王や豊臣秀吉なども高良山に布陣しています。写真下にこんもりと茂っているのが、秀吉が陣を張った吉見嶽です。

 山頂まではまだ歩かねばなりません。この日は参詣もせず下山することにしました。

 二の鳥居が見えてきました。岩が多く、落ち葉が積もっているので慎重に足を運びます。コロナで学校が休業中のことです。運動不足解消にと家族で高良山に登った帰り、参道でお母さんが足を滑らしたと孫娘が言っていました。大事に至らず良かったです。

 二の鳥居のすぐ近くに高樹神社があります。元々は高良山の地主神でしたが、高良の神に一夜の宿を請われ貸したところ、神籠石の結界を張られて山上に戻ることが出来ず、やむなくここに鎮座したという伝承があります。高良大社の祭神など、高良山には謎めいたところがあります。

 御手洗橋と放生池。以前はこの通りが高良大社の参道でした。道沿いには土産物屋や食堂などの店が並んでいましたが、自動車道が出来てからは通る人はいなくなりました。社会人になり車を持つまでは、私もこの橋を渡って高良山に登っていました。

 おととい筑後川堤防を走っていたら、土手にはノアザミがたくさん咲いていました。このあいだ通った時にはほとんど姿が見えず、今年は不作だと思っていました。昨年より一週間ほど開花が遅いようです。

 

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
FUSA様 (九州より)
2020-05-25 13:21:12
こんにちは。
高良山の山の様子はそう変わっていないと思います。
参道は以前は杉並木で鬱蒼としていましたが、
だいぶ前の台風で倒木し、だいぶ明るくなりました。
最近では本殿の大改修が行われ、社務所なども立派になりました。
本殿に上がる石段横には簡易モノレール設けられて、お年寄りの参詣がずいぶん楽になりました。
コメント有難うございました。
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50年前… (FUSA)
2020-05-25 08:36:42
高良さんに登ったのはもう50年近く前になります。随分様子が変わっているのでしょうね。訓練でしたが、山の中を1日がかりで駆け巡り、ゴールは高良大社でした。あの頃の元気はもちろん今はありません。遠い春の日の思い出です。
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おはようございます (九州より)
2020-05-25 07:34:24
高良山も最近は車で行くばかりで、歩いて登ったのは久し振りです。
やはり昔のようには足が動きません。
黄山は山の上の方までロープウェイで行きます。
10月に行きましたが晴天で、現地の人がこんな天気は珍しいと言っていました。
写真集にあるような山霧の黄山を見たかったですね。
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高良大社 (tango)
2020-05-25 04:57:38
このようになっているのですか?よくわかりました
はるか彼方に見える白い観音様を象徴としてみていましたが、階段を上がり山道を歩くのですね
上からの周りの環境の美しさをしっかり見せていただけます。私も最近は運動不足で歩けないかも?昨年は
金刀比羅さんや湖東三山の階段をたくさん歩きましたが、・・・
黄山・・・行ってみたかったけれど達成せず!
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