昔、JR久留米駅から東へ1キロに及ぶ繊維の問屋街が形成されていた。道の両側には絣や洋服、着物等を扱う卸問屋や小売店が立ち並んでいた。
今は昔、時代の流れに取り残されて往時の面影はない。それらの商店は櫛の歯が抜けるように消えてゆき、駐車場、マンション、雑居ビルに変わっていった。
わずかに残る絣や着物の看板
久留米絣の一枚看板、国武合名会社の倉庫跡。ある資料には鉱滓煉瓦を使用とある。絣生産の40パーセントを占めていた。
左に赤レンガの繊維倉庫。「キ」の屋号があり、国武合名会社の倉庫だったようだ。
問屋街にあった本屋の菊竹金文堂の本店。今はレストランになっている。大正15年の建築。入って正面に大理石の重厚な階段があった。文久年間創業の老舗である。大正時代からのれん分けを行い、名前に「金」のついた書店が九州四国の各地にある。
問屋街から一歩入ったところにある、市の図書館分館だった建物。元は第十七銀行の支店であった。柳川往還の古道に面している。
<わらい>??
東町の天神ダンススクールで会議があり駅前の
ホテルのディナーパーティだけ…
絣の雰囲気はとても好きです
心に残る建物の紹介、ありがとうございます
久留米の井筒屋は早いうちに閉鎖されましたね?
一軒は五穀神社の近くで「ダイナ」といいました。この教室は今も健在です。もう一軒は西鉄久留米駅前にありました。たくさんの人が踊っている様子を、窓からのぞいていた記憶があります。
当時は社交ダンスが流行っていたんですね。