〇残心について
剣道は日常生活に生かされなければ何もなりません。ただ剣道で叩き合いが強くなっても、この目まぐるしい時代からとり残され、剣道が視野の狭い現代の国際人の感覚から見離され、淋しい末路を辿らなければならないと心配でなりません。そこで今日は残心ということについて考えてみたいと思います。これに関連したことは既に№36、105、106に詳しく述べましたが、残心は大変大事なことなので敢えて申し上げたいと思います。
一刀流の形の残心の構えには、下段、上段(右・左)、陰、陽、本覚、逆本覚、脇構等あることは皆さんもご承知の通りでありますが、之等は組太刀の構成上、夫々違っており、日本剣道形始め、古流の形には皆命がけで作りあげたものばかりで、残心の形が違っていても、一本一本の勝負には必ず残心を入れ、その大切さを示してあります。われわれは之等の形の不断の錬磨によって形の心理を体に覚えさせ、心に刻み込み、竹刀剣道に表現すべく、けいこに精進するなら思わず形の神技が発露され、自然に残心の精神もともなってくると信じております。
この残心の精神が日常生活に重要な役割を果しておるのであります。それは何事も責任をもって成しとげ、決して途中で放棄しないという心がけを育んでくれているのであります。それに気ずかず剣道で、うぬぼれ強い者ほど自分の実力?と過信し、残心どころか、打った!さあどんなもんだと言わんばかりに相手に意思表示して引きあげ、無礼千万な態度をとる傾向がだんだんと増え、上の者に掛っていっても、打った、どうだと引きあげる者など誠に嘆かわしい状態であります。このような者に限って自分の責任を回避します。剣道もここまでくると最早救い難い感が致します。これ等は上に立つ指導者、審判員等の責任と思い自ら率先垂範しなければなりません。
槍はくり出し、くり込みます。このくり込みが剣道の残心と同じで槍では決して、やりっ放し、突きっ放しはしません。剣道だけが打ちっ放しでは相手の人格を傷つけるばかりで何のための剣道だか判りません。水洗便所じゃないけれど垂れ流しではいけません。大工さんでも釘を打ちっ放ししていません。気をつけてよく観ると最後に金槌でトントンと止めを打つ拍子につながっており、口にくわえた幾つかの釘を順序よく一本ずつ出し手にとり、一本一本の打ちの残心を含めた誠にリズミカルな打ちに逆に教えられるのであります。
竹刀剣道では形のように特別に下段の残心とか上段の残心はとりませんが、大工さんの連続の釘打ちのように、一つの技と次の技の間をおかず心を止めず技を止めず気一杯の中に実は尊い残心が含まれていることを知らなければなりません。私は座右の銘として「一歩留まらず」を絶えず念頭におき己が修養のかてにしております。そして私の関防印(謹んで書きはじめますの意)も「一歩不留」であります。これは小野派一刀流極意のご本の484頁に書かれてありますが、
一歩も留まらないことは生太刀の真骨頂である。常に動き、伸び、強まり、加わり、大きくなり、殖えてゆくのは生命の働きである。勝とはそのことである。留まると縮まり、弱まり減じ、小さくなり、絶えて亡びる。負けとはそのことである、一歩不留は勢の烈しさをもって勝ち渡る秘訣を教えるのである。
と教えています。
今の剣道では他のスポーツの方が遥かにスポーツマンシップを守って優秀であるか以前に詳しく述べました通り、自分だけの調子で当てて、どうだと引きあげるが如きは、やくざの喧嘩よりまだ劣ると言わねばなりません。心すべきことです。
以上