稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

池田勇治先生語録

2018年05月09日 | 剣道・剣術
難波の府立体育会館の「なんば養正会」は、
私が入会するかなり前だが池田勇治先生が指導されていた。
(私が入会した時は古谷福之助先生)

池田勇治先生の事は、故 田坂覚会長がよくお話にされていた。
田坂覚会長から頂いた資料の中に池田勇治先生語録がある。

今回は池田勇治先生語録のご紹介。
田坂覚会長は池田勇治先生の剣道を実践されていたように思う。
田坂覚会長が養正会(現 なんば養正会)との関わりを書いた資料が見当たらない。
出てきたら「なんば養正会」のサイトにアップしよう。

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(池田勇治先生)


・剣道は理屈じゃないんだ。自分から求めてガンガンやるんだ。やったら、ハッとわかる。
・まっすぐに伸びて、大きな大木に成長するか、枝の曲がりくねった小さな盆栽になるかだ。
 変な癖つけたら盆栽で終わってしまうんだよ。いかに基本に忠実にやるかだ。
・無理だけども、無理を承知で破って行かないかん。
 相手の剣先を避けていたら、いつまでたってもその剣先を破れないんだ。
・手前勝手な剣道したら駄目だ。相手がいるんだからね。
 いやらしい剣道、横で見ていていやらしいなぁ、と思われる剣道したら絶対に駄目だ。
 気持ちのいい剣道でないとね。心を打ち、心を打たれるというのが剣道だね。
・閃いたら捨てろって言っているんだ。日頃それで稽古するんだ。
 試合の時にその半分も出たら勝てるって言ってるんだね。
・正しい稽古を、少なくても良いから続けることだ。
・稽古は形のごとし。形は稽古のごとし。
・竹刀振るのに力はいらん。持ち上げるのに力はいらないんだ。力んだらいかん。
 さっとおろしたら切れるんだ。
・切り返しは、相手の竹刀にガツンガツンぶつけたって駄目だ。
 手が締まって、竹刀の重さでサッサッと返るようにならないと。
・どんな人でも、打つ前は必ず手元が上る瞬間がある。そこを打つんだ。
 そこまで辛抱するんだ。それが溜だ。
・剣道は一生のもんなんだ。打った、打たれたいうようなケチなもんじゃないんだよ。
・剣道は和なんだ。相手がいるんだからね。相手の気持ちを汲むんだ。一人でやるもんじゃないんだ。
・わしも一緒だけどね。おたがい剣道でメシ食うわけじゃないんだ。
 いかに剣道を生活にプラスにするかだね。
 そのためにはだよ、いかに基本をしっかり身につけておくかだ。若いうちにそれをやっておくんだ。
・気位いうもんは、その人の修練の表れなんだ。稽古をやっとったら自然に備わってくるんだね。
・理屈で覚えたって駄目なんだ。剣道はみんな体得なんだ。
 相手が小手来たから、そんなら抜いたろうなんて考える暇なんてないんだ。
 相手も生き物なんやからな。打たれまい、打たれまいしているんだ。
 そんな時に考えて打って行っても駄目だ。捨てるんだ。身を捨てて打つんだ。
・若い間は無理をしなさい。無理をしている間に打つ機会とか、理合とかが分かってくるんだ。
 無理をしない稽古は、小さく固まった剣道で終わってしまうんだ。
・上に懸かるときは、攻められても、そこで「何をっ」って頑張るんだ。
 それで、今度は打つ機会がなかっても、捨て身で相手を動かすだけの打ちを出すんだ。
 ズバーンとね。それをくりかえしてたら、精神力、いわゆる「心」というもんが出てくるしね。
 相手が動じるような打ちが出るようになってくるだな。
 相手が受けに回ったら、次々、次々て技が出て来るでしょ・・・
・「いい技だな、自分の物にしたいな」思うたらそれを盗んでみることだ。
 寝ても醒めても、それを頭の中に描いてみるんだ。そうしたら自然に身についてくる
・守破離というもんは繰り返すもんだ。
 何段までが守で、何段までが破で、何段以上が離というものじゃないって、わしゃ言うんだ。
 いくつになっても基本に戻りなさいって言うんだ。
・手は切ればいい。出るのは足だ。裏付けするのは捨てる気持ちだ。
・形を見たら、その人の剣道がわかる。刀の振り、足の運び、構え、気位、すべてが出てくる。
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