稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.69(昭和62年6月21日)

2019年09月12日 | 長井長正範士の遺文


○文学博士佐藤通次先生について先ず皆さんにご紹介申し上げねばなりません。
先生は九州大学法文学部及び文部省の研究機関を歴任後、
伊勢の皇學館大學兼亜細亜大学の教授から後年皇學館大學の学長になられたお方で、
立派なお人柄の方で国内は勿論、世界的に著名な哲学者であり、ドイツ語の学者であり、
わが国神ながらの哲学を論理化するために主力を注がれ、多くの著書を発表しておられます。

さて実は私の長女(現、府立金剛高校教諭「国語」(結婚して峯畑の姓)春美42才)が
昭和37年4月皇學館大學の国文学部に入学させて頂いた時、佐藤教授に初めてお会いし、
それから四年間、先生より娘、私と家内共、大変な慈愛あふるるご薫陶を受けたのであります。
その間先生の偉大さが月日を経るに従がい益々崇高な御徳を備えられた方だろうと、つくずく敬服いたしました。
お陰で春美が卒業の時、総代として国旗を掲揚し、答辞を読む光栄にて浴したのであります。
私と家内は式場で思わず感涙にむせんだのであります。

あとで、佐藤通次先生に鄭重にお礼の挨拶をして、
先生のいついつ迄もご長寿を祈りつつ娘と共に帰りました。
その後も先生から娘に良いお婿さんがいるが、どうか某大学の医学部を卒業、
博士号をとって医院を開業したての優秀な男子だ。若し春美君よかったら、
相手の男性に話していがと、遠慮がちに言って下さったので私と家内が先ず願ってもない
良いお相手にと乗気になったのですが娘は佐藤先生のご恩情身に浸み有難いが、
ここ当分結婚する意志がないので鄭重にその旨伝え、お礼方々おことわりしたのです。
私達は惜しいて惜しいてたまりませんでしたが本人の意思を尊重してあきらめました。

尚、蛇足でありますが昭和41年3月娘が卒業。
その夏、高校教員採用試験に合格早速採用して頂き、その後英語の教諭、峯畑通と交際を続け、
結婚する事になり、その時の校長竹谷新先生(後府立天王寺高校の校長となられた)
の御媒酌を頂き挙式致しまして、佐藤通次先生にご報告申し上げたのでありますが、
心からよろこんで祝福して頂いたのであります。

初め佐藤先生に気がねしておりましたが、そんな心の小さいお方ではありません。
にこやかな温顔は今も忘れることが出来ません。その佐藤先生が、昭和41年1月21日に開かれた、
新教育懇話会、第64回例会における先生の講演「日本の武道」を先生の御承認を得て同会が発行された、
その本を佐藤先生が自筆で“長井長正様 佐藤通次”と書かれ
「長井さん、参考になるかどうか判りませんが、お暇がありましたら見て頂ければ幸いです。どうぞ」
と下さったのですが、その当時は私も心身共に若く未熟でしたので、読ませて頂いたのですが、
私の頭では無理で、なかなかむつかしく感じていました。

それから時折り拝読させて頂き乍ら今日に至り、部分的に判断がつくようになり、
これは素晴しい、なんで今まで感ずかなんだったのか、と思い、
それ以来何遍も読まして頂き、その都度新たに教えられる個所を発見し、
今更偉大なる哲学者哉と敬服しているのであります。
註:前口上が長くなりましたが、次回はいよいよ本論に入ります。
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