かかってゆくような感じで30秒もたなんだ事をおぼえている。
おかしな面を打ってゆくと、サッとあえて間をとられるから届かない。
多分、そんな面はいけないよと言われんばかりにサッと引かれて、
私に教えられたのだろうが、その時のことなど、今から想像すると、スッスッと
動かれる足の使い方が本当に見事であった。
それにつけて、もう一つ私が道場で見ておった事を述べておきたい。
それは私の先輩(私が国士舘に入った一年生の時の四年生)の馬田誠さんが、
斎村先生にかかっていかれた、ある日のひとこまである。
馬田先輩は上段が得意で、その日も斎村先生に「ご無礼します」と言って上段をとられた。
先生はよしよし遠慮はいらんよと言わんばかりに竹刀でしきりに上段をとれと合図されていた。
さあ、それからが大変である。斎村先生はスッスッと前へせめられるのである。
その前へ攻めていかれる足運びは又格別早くもないのであるが前に出られて止まれないのである。
一方馬田さんは上段にかぶったのはよいが、その直後先生が中へスーッと入って来られるから
打ちおろすどころか、あとへ下がるばかりで打てない。
見ていると、この状態が少しのどよみもなく先生が攻めてこられるので
馬場さんは上段のまま後へ下りっ放しで道場を廻り始めたのである。
途中、馬田さんは、たまりかねて甲手を打つ、先生は下がられず、
ふところの大きい構えから、ほんの少し手元を下げ或いは引くだけで
剣先はそれで空を打つどころか道場床板をパーンと叩くはめになってしまう。
その直後先生の剣先は馬田さんの、のど元へひっついてゆく、こんな事のくり返しで、
とうとう細長い道場の大方二辺近くまで馬田さんは下がられた。
この間、たしか4~5回は甲手、または面を打たれたが、
いずれも先生のお体にいっぺんもふれた事がない。
私共は息を呑んで見学して斎村先生の偉大さに感服したのである。
あとで、馬田さんが私共に「斎村先生にお稽古願ったお礼に師範室へ行ったところ、
先生は“おい馬田!お前、今日は道場の床を打ちに来たのか”と、
にっこり笑われた」と話された。
ちなみに馬田さんは第2回卒業生(私は第5回、昭和12年卒)で四年生のキャプテンであり、
卒業後、国士舘の助教授時代は上段の名手として全国に有名であった。
然し惜しいことに戦死された。又その時、指揮官としての将校に相応しい勇猛果敢な戦歴でも有名で、
聞くところによると弾丸を受け、毅然そして立ったまま壮絶たる戦死であったという。
さすが九州男子(福岡出身)である。
以上、腰の力から足の運び、斎村先生、馬田さんの話にまで横道に入ったが、
これは大事な話なので、あえて脱線を意識して述べた。
次に腰の大切さに引続いて腹について述べる。(№8.9.10.30の加筆)
○腹について
1)下腹に力を入れるための一手段として、ぐっと両肩を落とす。
2)臍下丹田は臍下約3センチの所をいう。
丹田の丹とはよく練った葉=不老長寿の薬のことを言い、
田とは田畑であり特定のものを作るところ。昔は田=原。原=腹に通ずると解釈した。
3)臍下丹田に力が入ると逆に肩も手も柔らかくなる。
4)臍下丹田は氣海丹田とも言って、氣の集まるところが丹田であるとも言われているように、
心と肉体との鍛錬の大切さがここにある。
5)丹田息によって、下腹部に気力を満たす事が己が生命力をより強く養う事が出来る。
このことは私の長女の大学時代の恩師佐藤順次先生の貴重なお話を次回に拝写させて頂く。
○参考迄に腰と腹とについて日常会話に使っている言葉。本腰。腰をすえる。腰くだけ。腰ぬけ。
等、沢山ある。腹太い。腹が座っている。腹が出来ている。腹をさぐる。腹にいちもつ。腹黒い。
腹わるい。人の娘を腹ませる?これはいけない。正式の字は孕むと書く。等々沢山ある。
日常の会話に身体の一部を使ったものが沢山あるが、これは又、項を改めて書く。
とても嬉しい記事です。ありがとうございます。
長尾様のように、ご縁のある方に読んでいただき本当に嬉しく思います。
ご訪問頂き、ありがとうございました。