稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

剣道講和(敬老の日に話した内容、年不明)- 5/5

2017年12月14日 | 長井長正範士の遺文
いったい人間は剣道に限らずあらゆる分野でいつも向上しようと努力している。
これが次々とその望みが満たされていく時、そこに喜びがある。
特に心身ともに体を使って汗を流し優勝した時には他に無い感動がある。
こうして人間的成長が心の喜びとなって現れてくる。

その反対に満たされない時は悩みが生じるのである。
故に自分の能力や性格について消極的に考えすぎないこと。
考えすぎは自分を自分で縛っている事になるから進歩は無い。
むしろ積極的に考えている人の方が成長している。
従って我々は剣道によって、自分や相手のために活かす徳
(品性=品格)を養っていかなければならない。

これには相手に対し「広い心」を持つということ。
この眼に見えない「徳」こそ無形の財産なのである。
そしてこの徳をもって、いろいろな力関係を調和させ、
人間の本当の生き甲斐や幸せを実現してゆかなければならない。
この徳を養うために我々は剣道を修行するのである。
徳は永遠に栄えるが力で立つ者は力で滅び、金で立つ者は金でいつかは滅んでいくであろう。

以上で剣道は心身の鍛錬であるという一例を述べたが、
このようにして心身一如の修行をするならば、
必ずや愛国精神に目覚めた立派な日本人として成長し、
広く世界の人類の平和繁栄に寄与し、やがては世界の人々から
尊敬と信頼されるような立派な日本人となるであろうと信じる。
以上。

(大阪府剣道道場連盟副会長 長井長正)


(昭和45年8月27日、大阪万博会場にて、左端は大剣連事務局長の高見範士)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 剣道講和(敬老の日に話した... | トップ | 昨夜の稽古(長正館)で気の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

長井長正範士の遺文」カテゴリの最新記事