稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

血液検査が気にかかる

2017年01月14日 | つれづれ


昨日、行きつけの医者(高血圧と尿酸値の薬をもらってます)に行ったら
胸のレントゲンと心電図の検査を受けました。

自営業なので定期検診などしていませんから、行きつけの医者での検査が定期検診代わりです。

医者は、昨年11月の血液検査の表を見て「肝臓と中性脂肪の数値が悪いですが飲み過ぎてました?」
と聞きますが、ビールとお酒は毎晩飲んでるし11月の事はよく覚えてません。
「貧血気味ですねえ」とも言われましたが理由はわかりません。
ヘモグロビンの数値が昔から低いのですがそういう体質なんだろうかな。

結局「今すぐどうこうということはありませんが要注意ですねえ」と言われた。
こういうのは少し憂鬱になりますねえ。

きょうの午前中は生駒(奈良県生駒市)で往馬玄武会の剣道稽古でした。
山の中腹の武道館なので気温は零度近くまで冷え込んでいました。
寒いけれど基本稽古ですぐに息が上がってしまいます。
「もしかしたら貧血のせいかも」なんて思ってしまい、
生駒山越えの王将で餃子とレバニラ炒めを食べておきました。
少しは赤血球が増えるかもです。

今、改めて血液検査の表を見ると、あちこち少しずつ悪い箇所がありますねえ。
要注意と言われても何をどうして良いかわからないので困ったものです。
ちなみに心電図とレントゲンは異常なし、血圧は下が95、上が142で高めでした。
健康には年々自信が無くなってます。そういうトシなんでしょうねえ。
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師匠の視線を背中に感じての稽古(2017年1月12日)

2017年01月13日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
昨夜は出稽古(四條畷剣友会木曜稽古)での初稽古だった。
足捌きや一拍子の打ちなど、基本をみっちりやったあと地稽古になった。
組み合わせは自由だが、自然に七段が元立ちになった。

後ろでは師匠が見ておられる。こうなると崩れた剣道は出来ない。
基本に忠実に、前後左右に動き、右足で攻め入り、打つか返すか一瞬で判断する。
待つのではなく、攻め入って相手を動かすのである。
常に背筋はピンと張り、うつむかず仰向かず、左足を真っ直ぐにしている。
30分ほどの元立ちだったが、ほとんど崩れなかったと思った。

稽古が終ってから師匠からお褒めをいただいた。
「良くなったなあ、これやったら八段目指せるで」
何だか舞い上がるような気持ちになった。こんな嬉しいことは無い。

ここでの稽古はもう4年経つが、自分でも成長したなあと実感している。
それほど以前の剣道がひどかったということだ。
指摘されて自覚し、目標を持って稽古する。
それの繰り返しを続けてきただけだが成果は確実に出る。
「ここでの稽古は信じて続けてください」と昨夜も師匠は言われた。
まさにその通りだと思う。最初は戸惑ってしまうのがここの基本稽古だ。

家に帰って思い出してニヤついていたのだろう。
女房に「何か良い事でもあったの?」と聞かれた。
「うん、師匠に褒められたんや」
晩酌が進んでいつもより多く飲んでしまった。
きょうは少々二日酔い気味である。胃薬飲んでおこう。
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平城宮址がいつの間にやら平城宮跡に

2017年01月11日 | 旅行や街角メモリー

(画像は、travel.jpのブログから借用しました http://4travel.jp/travelogue/10862396

小学校は奈良女子大学文学部附属小学校だった。
授業で奈良の歴史を習ったが平城京の跡地は「平城宮址(へいじょうきゅうし)」と習った。

20年近く前に奈良に戻ってきて、平城宮址が、「平城宮跡」と表示されているのに気づいた。
何て読むのだろうと思っていたら「へいじょうきゅうせき」なのだそうだ。

それはおかしい。
「へいじょうきゅうあと」ならわかるが、「へいじょうきゅうせき」って何なんだ?

調べてみると少しわかってきた。
本来は、平城宮址(へいじょうきゅうし) なのだが、
「址」が当用漢字外なので、いつの頃からか平城宮跡(へいじょうきゅうあと)にしたようだ。
しかし今ではバス停も「へいじょうきゅうせき」になっている。

どうしても「へいじょうきゅうし」と習い覚えた語感からは違和感が残る。
だいたい、城址(じょうし)を城跡(しろあと)とは言うことはあっても、
城跡(じょうせき)とは絶対に言わないと思うがいかがなものか。
「址」は建築物の跡地の事だ。「跡」とは微妙に違うと思うがどうなのか。

補足
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生駒高校の同級生の服部薫氏によれば、1988年シルクロード博の際、
それまであまり有名でなかった「平城宮址」が会場となりデレビにしばしば映った。
そしてアナウンサーが読み方もわからず「へいじょうきゅうせき」と放送し、
その間違いを誰も指摘しなかったからそのまま「へいじょうきゅうせき」が世間で定着し、
表記も読み方に合わせ「平城宮址」から「平城宮跡」になったのでは無いか?ということらしい。
それが本当ならこれも従軍慰安婦と同じ構造になる。誤報が源だ。
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産経抄、1月11日、慰安婦問題における「失敗の本質」

2017年01月11日 | 政治や歴史など
今朝の産経新聞朝刊の産経抄(さんけいしょう)だが至極まっとうなのでコピペしておきます。
失敗の本質は朝日の誤報と河野談話にあるという。それこそ「失敗の本質」なのです。

そして肝心の日本政府は日本側の立場を主張しなかった。これも大きな失敗です。
「強制連行はなかった」そして「慰安婦は存在したが政府が強制したものではない」のです。

一般論として売春行為を行わなければいけない当時の社会状況は不幸な出来事です。
しかし人道上の慰安婦制度(公娼制度)を問題にするならば、韓国人慰安婦を問題にする前に、
圧倒的多数の「日本人慰安婦」を無視してはならないはずです。
(慰安婦は合計1~2万人、半分が日本人、3割が台湾人と中国人、2割が朝鮮人)
現実は「日本人慰安婦」が話題になることはありません。

なぜ、事実を曲げてまで、ゆすりたかりの隣国に媚びなければならないのか?
そろそろ一般人も何かがおかしいと気付いてきています。

1)米軍はその土地の慰安所(もしくは私娼)を利用した
2)ソ連軍は手当たり次第に強姦した(ベトナム戦争時の韓国軍も同じ)
3)日本軍は、慰安婦業者が軍に付いていき、軍がそれを利用した

戦争に負けた日本だけが悪者になっているのが現状です。
勤労奉仕の女子挺身隊と慰安婦を混同してとんでも無い数を慰安婦と誤解されているのです。
だいたい「少女像」というのも変です。
本来の意味からすれば「売春婦像」もしくは「公娼像」とすべきでしょう。
なまなましいから「慰安婦」と言ってるだけなのです。

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韓国・釜山の日本総領事館前の道路に設置された慰安婦像=2016年12月30日(名村隆寛撮影)

産経抄、1月11日、慰安婦問題における「失敗の本質」

 小池百合子東京都知事が座右の書に挙げる『失敗の本質』(中公文庫)は、大東亜戦争における日本軍の失敗を分析したものだ。インパールで日本軍と戦った英国軍司令官のこんな言葉が引用されている。

 ▼「日本軍の欠陥は、作戦計画がかりに誤っていた場合に、これをただちに立て直す心構えがまったくなかったことである」。今から振り返ればあの時、韓国への融和政策の誤りに気づくべきだった。反日団体が、在韓国日本大使館前の路上に慰安婦像を設置した、2011年12月である。

 ▼外交常識に反した暴挙に対して、民主党政権は、韓国政府に撤去を強く求めなかった。「第2、第3の像が建立される」。李明博(イミョンバク)大統領は、日本政府の弱腰を見通していたようだ。直後の日韓首脳会談で野田佳彦首相に慰安婦問題の解決を迫って恫喝(どうかつ)する。

 ▼ただの脅しではなかった。慰安婦像はその後、がん細胞のように海外を含めて増殖する。揚げ句の果てに日韓合意を踏みにじり、釜山の日本総領事館前に設置されたとなれば、駐韓大使と釜山総領事の一時帰国は当然の措置である。それでも朝日新聞の社説は、「性急な対抗より熟考」を訴える。「旅人の上着を脱がせるのに北風を吹かす」。夕刊コラムはむしろ安倍晋三政権を揶揄(やゆ)していた。

 ▼韓国の野党は、合意に基づいて日本が拠出した10億円を返すと言い出した。国内ではまた、合意は崔順実(チェスンシル)被告が朴槿恵(パククネ)大統領を唆(そそのか)して実現させた、との説がまことしやかに語られているという。

 ▼朝日の主張に従って、いくら日本側が冷静に振る舞っても、「情治」の国の反日の炎は、どこまでも燃え広がっていく。そもそも火を付けたのは、朝日の誤報と「河野談話」、これこそ「失敗の本質」である。
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二重国籍、蓮舫だけはご勘弁願う

2017年01月10日 | 政治や歴史など






蓮舫とその周辺がこの画像を必死になって削除しまくってるという。
嘘がバレると困るからだ。でももう手遅れだろう。

この人は青筋立てて他人の粗(あら)を攻め立てる。
そういうイメージしかない。女性としての魅力は無い。

19歳で帰化したと過去に発言していたが、いまだに真実はわからない。
別に一般人が二重国籍であっても帰化人であっても問題は無いと思う。

その場しのぎで言い繕うような人物が国会議員であることが嫌なだけだ。
自分の事は棚に上げ、他人を攻撃するような人物が嫌なだけだ。
こんな人物が国会議員であることが税金の無駄であり国民の不幸である。

ともかく一回、政治から身を引いて欲しい。
この顔を見るたびに嫌悪感しかわいてこない。

息をするように嘘をつく蓮舫という女。
こんなのを党首にした民進党って何なんだ?
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正中線を取る稽古(2015年2月の記事のコピペです)

2017年01月09日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
私の剣道の師匠が2015年2月にフェイスブックに投稿した記事です。
改めて読み直して、なるほどなあと思ったのでコピペしておきます。

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「正中線を取る稽古」

 正中線をとるというのは、自分の剣先が相手の急所(中心)に向かい、相手の剣先がこちらの急所(中心)から外れた状態を言います。

そうした状態をつくるためには、さまざまな技前を駆使する必要があるはずですが、どうも、それを、こじんまりとした状態でつくり出そうとしているのが今の剣道のように映ります。

構えを崩さないということを身体を極力動かさないことととらえ、竹刀の身幅だけで正中線をとろうとする剣道です。

まっすぐに構えて足を止め、剣先をカチカチと鳴らし合いながら、竹刀の身幅分だけで正中線をとりにいく。

いざ、中心を制したその瞬間、技を出せばまっすぐ相手に乗れるかといえば、それほど剣道は易しいものではありません。  

上背のある人、スピードのある人の側からすれば、それで成功するケースも多いでしょう。

問題なのは、私のように身長の低い者、筋力がなくスピードに劣る者までが同じような考えで戦うことが多いということです。

五分と五分でまっすぐに構え合い、正中線のわずかな取り合いだけで技をくり出せば、上背のある者、スピードのある者が優位になります。

昨今は八段戦を観ていても小兵の選手はなかなか勝ち切ることができませんが、昔は大麻勇次先生、越川秀之助先生、佐藤貞雄先生など、技前に味のある強い小兵剣士も少なくありませんでした。   

上背のある相手、地力にまさる相手と対峙したならば、まずは居着かないことです。  

四方八方への足さばきも遣い、正中線を”瞬間〟とって攻撃するのが基本的な攻め方です。

ちなみに、「正中線をとる」とは、自分の剣先を相手の正中線上に向けるということに限るわけではありません。

自分の正中線上の竹刀を相手の中心に向けるというとらえ方でいいのです。  

包丁でスイカを切るとき、四方八方どこからでも中心を意識して切りさえすれば正中線を切ることになる、というのと一緒です。

つまり、相手の顔の真ん中を攻めるだけが正中線をとるということではなく、左右にさばき、斜めから相手の中心に向けて攻めることも、こちらが正中線をとっている、ということになるわけです。  

日本剣道形の四本目では、仕太刀は体をさばいて相手の面を切りますが、その状態をして「正面を切る」と解説書に記されているところにもヒントがあるように思います。     

そもそも、対峙する両者が互いに姿勢もまっすぐ、体の向け方もまっすぐ、両足の方向もまっすぐ、なおかつ攻める方向も足を踏み出す方向もまっすぐでは、相手の剣先を殺すということそれ自体があまり意味をなさなくなります。

結局、どちらが速く相手の打突部位をとらえるかといった、ヨーイドンの勝負にしかならないからです。そうなれば、上背のある人、スピードのある人が優位になるのは当然です。    

本誌の連載でもたびたび触れてきたように、相撲にしてもボクシングにしても、すべての格闘技は半身で構えます。

攻守の力を生み出しやすいのと同時に、体さばきがしやすいという理があるからです。

槍や薙刀や杖が半身で構えるのも同じような理由で、なおかつ、単に得物が長いというだけではなく、相手の得物を制するためには半身の構えが自然なのだと思います。   

そうした半身の構え―――三角矩(さんかくく)の構えを、私はここ数年来学んできました。

高野佐三郎先生が山岡鉄舟先生に学んだのがこの三角矩の構えで、相手の剣を殺すにもうってつけです。
これほどの研究テーマはないというぐらい、剣道の幅の広がりを感じ、学生にも取り組ませています。

ところが、学生の一人が出稽古で遣ったところ、「それは打つ剣道ではなく、切る剣道だよ」と指摘されたといいますし、「三角矩は守りの構えだよ」という声を聞くこともあります。

半身の構えを研究する余地すら与えようとしないほど、今の剣道は画一化が進んでいるということの表われかも知れませんが、伝統を重んじる剣道にあって、名人高野佐三郎先生が取り組んだ三角矩の構えは、私は「柔よく剛を制す、小よく大を制す、老よく壮を制す」に直結するものと信じて疑いません。  

「剣道日本」より
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ガスファンヒーター

2017年01月06日 | つれづれ


我が家の暖房の主力はガスファンヒーターである。

秋田で暮らしていた頃はポット式の灯油ストーブだった。
煙突があって、火力は強く、これ一つで過ごしていた。
冬の夜、灯りを消して、ストーブの炎で照らされながらの雪見酒が旨かった。

千葉ではマンションで、灯油式のファンヒーターが主力だった。
エアコンはあったが電気代が高くてあまり使わなかった。

奈良に越して自宅を建てたとき、ガス式エアコンと、床暖房を無理して入れた。
年をとって来ると足元の冷えが身に沁みてきて床暖房は重宝している。
そして上から温まるガスエアコンよりガスファンヒーターが主力になった。

経済的には灯油式のほうが安上がりなんだろうが、
スイッチを入れると瞬間的に温風が出てくるガス式が頼もしくて好きである。

点けると真っ先に猫どもが集まってくる。
猫と私とファンヒーター。
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正月2日(実家での集まり)

2017年01月03日 | つれづれ


1日は近所の杵築神社へ初詣したあとは自宅でのんびり過ごした。
2日は実家(800メートル離れている)へ集まるのが恒例である。
久々に一家5人が揃ったので自宅前で撮影した。
日の丸は正月三が日掲揚が我が家の決まりである。


(前列左より、隆、滋、貫次、睦子、誠、後列左より、星矢、鉄矢、拓矢、恵美子、みづほ、扇田智司)

親父とお袋が揃っての記念撮影。お袋はいつもよりは少し具合が良さそうで良かった。



次から次へと親戚(甥や姪、扇田系)が集まり出して大宴会。
14時から始まり解散したのは21時半だから実に7時間半も飲んでいた。
小さな頃から親戚が集まりダラダラ飲み続けるのが扇田の風習である。
祖父の扇田善次郎が宴会好きだったせいもある。
最初に全員が一言挨拶する。近況や今年の抱負を話してから宴会に入るのだ。
飲んで食べて喋って飲んで。実に楽しい正月だ。









自分でも驚くほど飲んでしまい、3日目のきょうはぐーたらを決め込んでいる。
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年越し稽古(長正館)

2017年01月01日 | 剣道・剣術

(前列左から小芦、櫻田、井上、粕井、藤、後列左から小浦、日下部、田村、住田)

大晦日は22時30分から長正館で恒例の年越し稽古でした。
23時50分まで参加者全員と稽古して年明けと同時に記念撮影です。



今回は館員の田村先生がご子息(門真市誠義剣友会所属)を連れて来られました。
長正館の子供たちは誰も来なかったので嬉しかったです。



井上館長は昨年12月に90歳を迎えられました。
まだまだ稽古は現役でお強いです。晦日の稽古も気で押されました。
先ほど帰宅してこの写真をUPします。今年もよろしくお願いします。
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