先ほど無事帰宅。
帰れなかった訳ではなく実家に帰っていたから。
地震発生直後にオフィスは停電。
高層ビルなので震度(東京付近は4だったらしい)のわりには長く大きく揺れました。
エレベーターも停止したので身動きも出来ない(32Fにいた)。
電話は当然つながりません。
東北地方に実家や親類がいる同僚も何名かいますが
連絡が取れないと言うことで動揺している様子。
そのうち、会社から自宅まで10km以内の従業員に帰宅許可が出たので
かなりの人数が(10km以遠の人まで)帰宅を開始。
ただし電車は動いていないので徒歩になる。
私は家まで遠いので電車の復旧を待つことにしました。
せいぜい3~4時間で復旧すると思っていました。
ところがまったく復旧の見込が立たないらしい。
そうこうするうち暗くなってきて徒歩帰宅も難しい状況に。
こんなことならさっさと帰ればよかった。
18:00頃実家(都内)と連絡付く。
母に怪我はなく、花瓶や茶碗が落ちて割れた程度と聞いて一安心。
ただし私の部屋で本棚の中身が崩れているらしい。
21時ごろ、会社が備蓄している飲料水や食料の配給があった。
有志数名が32階を降りて受け取りにいってくれました。有難い事です。
23時過ぎに実家から、弟が徒歩で帰宅中らしいと連絡あったが途中で電話切れたと連絡。
こっちからも掛けてみたけどつながらない。
しばらくして弟から電車に乗れたとメール。
多分帰れただろう。
オフィスで仮眠したけど寝心地悪くて翌朝4時ごろ目が覚めた。
その少し前に電源復旧したしい。(周辺では一番最後みたい。)
PCでゲームして時間をつぶす。
私鉄は始発から動いているようだけどJRの復旧はまだのようだったので、
実家のほうへ帰ることにして退社。
電車はそれほど混雑していなく、無事に実家まで戻れました。
...
実家に戻ってTVを見てやっと被災地の惨状が分かってきました。
会社でもワンセグでニュースは見てましたが小さい画像ではよく分かりませんでした。
津波の破壊力の凄まじさには驚くばかり。
こんなところ(ブログ)でお見舞いやお悔やみの言葉を書いても虚しくなります。
TVでは津波や原発のことが盛んに報道されていますが、内陸部でも雪崩や土砂災害などが大量に発生しているのではないでしょうか?
心配なことです。
...
(実家の)私の部屋では机上の本棚の雑誌類がすべて落下して散らばっておりました。
その机上には製作中のハリケーン3機(仕上げと完成後の保管のため実家に移動してた)があったのですが雑誌の下敷きになりながらもほぼ無傷。
シーハリケーンの20mm銃が1本折れたのと2機の空気取り入れ口が取れた程度。
実機同様の丈夫さを発揮してくれました。
実家に置いてある完成品プラモデルもほぼ無傷。
艦船模型の固定していない砲塔が外れたなんていうのは損傷のうちに入りません。
ヒコーキも何機かが脚を折ったりアンテナが折れたりしてますが大部分は無傷。
ガラス扉のある棚に入れておいたのが幸いしたようです。
また、艦船模型にはバラストを入れてあるのであまり暴れなかったのではないかと思います。
(揺れの方向もよかったのかも。)
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とりあえず土曜日は実家に泊まり。
日曜になってから自宅アパートに戻ってきました。
自宅の方はトースターの上に載せていたヤカンが落ちただけ。
疲れた。
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