「仁徳天皇と吉備」をテーマに書いてみようと思うのですが、前置きが例のごとく長くなっております。
神武から仁徳まで十六代に渡って歴代の天皇は続きますが、この中で、特に、吉備と関係の深い天皇は、初代の神武天皇を始め、「孝霊」「崇神」「景行」「応神」「仁徳」がおります。孝霊以降を考えても仁徳まで、約半数の天皇と吉備が密接に係っていることが、日本の正史である『記紀』に記されるという異例の取り扱い方を受けております。それだけ、吉備の古代史における地位の重要さが伺えるのです。
前置きはそれくらいにして、「仁徳天皇」と言いますと、どうしてもほうっておくことの出来ない歴史的な事実があります。それが古事記にある
「自今至三年悉除人民之課役」
です。是を「古事記伝」で、は宣長は、
“今より三年というまで(至三年)は、悉<コトゴト>に、人民<オホミタカラ>の課役<ミツギエダチ>を除<ユルセ>とのたまいける”
と、読ませております。
ある時、仁徳天皇が高山に登られて、四方の国々を眺められます。すると、夕暮れ時なのですが、人々の家の煙突から立ち上っているはずの烟<ケムリ>が立ち上っていません。是は、人々の暮らしが貧窮<マズシ>いからに違いないと思われるのでした。そこで、早速、税や賦役を、三年間、免除したのです。
なお、この時、天皇が登られた「高山は何処か?」ということについて、宣長は、「難波」にはそんな高い山はない。多分、大和に行幸される時にでも見た「生駒山」の辺りの何処かの峠から見られたのではないかと言っております。
神武から仁徳まで十六代に渡って歴代の天皇は続きますが、この中で、特に、吉備と関係の深い天皇は、初代の神武天皇を始め、「孝霊」「崇神」「景行」「応神」「仁徳」がおります。孝霊以降を考えても仁徳まで、約半数の天皇と吉備が密接に係っていることが、日本の正史である『記紀』に記されるという異例の取り扱い方を受けております。それだけ、吉備の古代史における地位の重要さが伺えるのです。
前置きはそれくらいにして、「仁徳天皇」と言いますと、どうしてもほうっておくことの出来ない歴史的な事実があります。それが古事記にある
「自今至三年悉除人民之課役」
です。是を「古事記伝」で、は宣長は、
“今より三年というまで(至三年)は、悉<コトゴト>に、人民<オホミタカラ>の課役<ミツギエダチ>を除<ユルセ>とのたまいける”
と、読ませております。
ある時、仁徳天皇が高山に登られて、四方の国々を眺められます。すると、夕暮れ時なのですが、人々の家の煙突から立ち上っているはずの烟<ケムリ>が立ち上っていません。是は、人々の暮らしが貧窮<マズシ>いからに違いないと思われるのでした。そこで、早速、税や賦役を、三年間、免除したのです。
なお、この時、天皇が登られた「高山は何処か?」ということについて、宣長は、「難波」にはそんな高い山はない。多分、大和に行幸される時にでも見た「生駒山」の辺りの何処かの峠から見られたのではないかと言っております。