”淤志弖流夜 那邇波能佐岐用 伊伝多知弖 和賀久邇美礼婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遅摩佐能志摩母美 由 佐気都志摩美由”
これが古事記に書かれた仁徳天皇の吉備への行幸の時に、淡路島から読まれた歌です。
「難波の崎を過ぎて、此の淡路島に着いて、そこから西の海を見れば、淡島も、おのころ島も見える。更にその先には神の木である檳榔之いっぱい生えた島々も見える。更に、その先には、愛しい黒日売のいるさけつ島もみえる」
誰にも遠慮することのない自由気ままな旅であるということを、のびのびと、しかも、黒日売にもうすぐ逢えるという喜びの心を、多分、声に出して歌ったのではないかと想像できます。
なお、さけつ島について、宣長も、「その所在は詳らかでない」と書いておりますが、それは黒日売の住んでいた「黒崎」のある島に間違いないと思います。倉敷市中庄小学校のある一帯を示しているのではないかと、私は断定しております。
ここで分からないことがあります。おのころ島は、兎も角として、淡島はイザナギイザナミの二柱がお生その子供ではないと古事記には書かれているのですから、我が国には存在しない筈なのですが・・・・。