黒日売が天皇の為に菘菜を摘むために出かけた“夜麻賀多<やまがた>”ですが、これについても、又、余分なことですが脱線のついでに書いておきます。興味のあるお方はお読み下さい。
黒日売が住んでいた所は、再度、書いてみますが、「令大坐其国之山方地」、吉備の国の「山方<やまがた>」です。この山方と黒日売が菘菜を摘んでいた”夜麻賀多<やまがた>”とは同じ発音ですが違うのです。古事記伝によると「夜麻賀多」は地名ではなく、「山縣」で「山なる畠」を云うのだそうです。山方にある山の畠です。「やまがた」という同音の言葉を持ってきた云い表し方も古事記の特徴の一つであるとされております。
更に、その“夜麻賀多”で菘菜を摘んでいた黒日売を、
“嬢子<オトメ>”
と書いてありますが、これにも深い意味があるのです。
嬢子、即ち、黒日売は、まだ、此の時、処女であったのです。年齢は特定はできないのですが、たぶん17,8歳の純真な乙女であったと思われます。“夜麻賀多”で、一心に若菜を摘む乙女の姿を見られた天皇は、それが愛しい「黒日売」ではなく、天女か何かの如くにその姿が、とても、新鮮でまぶしく感じられ「嬢子」という文字になって言い表わされたのです。「やまがた」と同様に、これもなかなか面白いと思うのですが。