“夜麻登幣邇<ヤマトヘニ> 爾斯布岐阿宣弖<ニシフキアゲテ> 玖毛婆那禮<クモバナレ> 曾岐袁理登母<ソギオリトモ> 和禮和須禮米夜<ワレワスレメヤ>”
黒日売が仁徳天皇の政治をしている都へお帰りになる時に歌った歌です。
「夜麻登幣<ヤマトヘ>」は「倭方」です。当時、仁徳天皇が都と定めていたのは「難波」だったのですが、そこは吉備から見ると、西に位置しているので、そこを「倭方面」へということで、<ヤマトヘニ>として、黒日売は歌ったのです。
「爾斯」は、先に、説明した「西風」です。
「布岐阿宣弖<フキアゲテ>」は読んで字の如しです。「吹き上げて」です。「上げて」は、この場合は「登る」という意味です。「都の方に吹いている」というぐらいの意味になるのではと思います。解釈によっては、此の「上げて」を激しく吹く様子だとする人もいるようですが、私は、「丁度、頃よい都へ帰られるのに、適当な穏やかな西風が吹い、天皇が無事に都へお帰りになる。安心だ」と、いう安堵の心が黒日売にあった為に使われた言葉ではないかと思うのですが???船が遭難しそうではないにしても、そんな激し西風が吹いているなら、瀬戸内の海を知り尽くしている吉備海部直である黒日売の父親は船出なんか、決して、させることはなかったと思われるのです。
玖毛婆那禮<クモバナレ>は、空の雲が散り散りになって、曾岐袁理登母<ソギオリトモ> 離れ遠ざかっていることよ、です。この散り散りになって飛んでいく雲のように、無常にも、私と天皇を散り散りに引き離してしまっておることよぐらいに解釈しております。
このままの穏やかな航海を黒日売は祝りつつ、続けて、「和禮和須禮米夜<ワレワスレメヤ>」、と歌っております。天皇と私が、この吉備で、ほんの暫らくではあったのですが、楽しい時を一緒に過ごしたことは、決して、忘れはしないでしょう。どうか、ご無事でお帰り下さい。お祈りしております。というぐらいの意味ではないかと思います。此の歌かだらと、黒日売は天皇との別れの辛さ、悲しさは、少しも、感じられませんが。どうでしょうか???