吉備の山手の「山縣」で「黒日売」が、春の野に出て若菜を摘んだことは、日本には古来から続けられてきた、七草の行事でも知られる通り、何か越し方のさきくまさきくと祈りを捧げる為の大切な行事だったのです。仁徳天皇の吉備への行幸を黒日売初めその関係の多くの人達の幸福を願っての行事だったと思われます。
この若菜摘みの行事は、又脱線しますが、万葉集の最初に出ている雄略天皇の歌として見ることができます。
これも又大変読みにくいのですが万葉言葉で書いてみます。よろしかったら目を通して見てください。めったに読む機会もないと思われますので。
“籠毛與美籠母乳{籠(こ)もよみ籠持ち} 布久思毛{ふくしも} 與美夫君志持{よみふぐし持ち} 此岳爾{この岡に} 菜採須児{菜摘ます児} 家吉閑名{家聞かな} 告沙根{告(つけ)さね} 虚見津{そらみつ} 山跡乃国者{やまとのくには} 押奈戸手{おそなへて} 吾許曾居師{吾こそおらし} 告名倍手{つげなへて} 吾己曾座{吾こそ座(おら)し} 我許者[吾こそは} 背歯告目背(せに)は告げめ} 家乎毛名雄母{家をも名おも}”
これは契沖の「万葉代匠記」を参考にしたものですから、現代の訳とは幾分違っている部分もあります。我々が学んだところは
“籠もよ、み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に・・・”
だったように覚えているのですが、それをどうしてかは分からないのですが、僧契沖は、上のように読むのがよいと言っております。