この天若日子の葬儀に参加した「岐佐理」を持つ人、「掃」持つ人、「御食人」、この3人の人は、日本の戦前の時代までの我々の日常の生活の中に生きていたことは確かです。ですが、次に書かれている「哭女」のことは、話には聞いたことがありますが、私は、実際にこの眼で見たことはありません。私が幼少の時に、朝鮮半島では、そのような女性がおったよと云う話を、半島で生活していた父から聞いておりました。何時頃から此の風習がこの吉備から無くなったのかは分からないのですが、此の古事記を読む限りにおいては、太古の日本社会に於いてはあったと言う事が分かります。
古事記では、その役を仰せつかったのは“雉<キギス>”です。どうして雉なのでしょうかね???どうおもわれますか。
古事記では、その役を仰せつかったのは“雉<キギス>”です。どうして雉なのでしょうかね???どうおもわれますか。