“僕者不得白”
「今オホクニの治めているこの葦原中国を天忍穂耳命を治めさせようと思うのだがどうだろう」
と、建御雷神は尋ねます。その問いに対してのオホクニの返事が
、<アワ エ モウサジ>
です。
「自分では何と答えたらいいのか分かりません」
と云います。なぜかその理由を書いてはいないのですが、其の理由として宣長は“此の言を以テ思ふに”として
”此ノ時既に大穴牟遅ノ神は年老坐て、多く事代主ノ神に事を譲りたまひて、事代主ノ神 ぞ、真盛<ミサカリ>に威勢<イキホヒ>ありけむ”
と説明があります。
「年老いた」とありますが、一体、この時のオホクニは何歳だったのでしょうかね。200歳や300歳ではなかったはずです。もしかして、もっと1000歳位のお歳になられていたのではないでしょか。神様ですから、それくらいは、当然、生きられてもと思いますが????お歳のことは宣長でも言及しておりません。誰か知っている人は教えていただけませんか。
那珂通世博士も、武内宿禰や播磨稲目大郎媛の年齢は計算していても、オホクニの年齢までは言及されておりません。と云うより、計算する根拠がなかったので書けなかったのです。だから、古事記でも「不得白」としか書けんかったのだろうと思います。それくらい記録も何もない暗澹たる太古の事だと言う事をも言い表しているのだと思っております。神の世界としての現実の世界よりかけ離れた特殊な社会を、まだ、知識の浅薄だった時代が描きだした歴史のロマンとしてみなくてはならないのではないでしょうか。
「今オホクニの治めているこの葦原中国を天忍穂耳命を治めさせようと思うのだがどうだろう」
と、建御雷神は尋ねます。その問いに対してのオホクニの返事が
、<アワ エ モウサジ>
です。
「自分では何と答えたらいいのか分かりません」
と云います。なぜかその理由を書いてはいないのですが、其の理由として宣長は“此の言を以テ思ふに”として
”此ノ時既に大穴牟遅ノ神は年老坐て、多く事代主ノ神に事を譲りたまひて、事代主ノ神 ぞ、真盛<ミサカリ>に威勢<イキホヒ>ありけむ”
と説明があります。
「年老いた」とありますが、一体、この時のオホクニは何歳だったのでしょうかね。200歳や300歳ではなかったはずです。もしかして、もっと1000歳位のお歳になられていたのではないでしょか。神様ですから、それくらいは、当然、生きられてもと思いますが????お歳のことは宣長でも言及しておりません。誰か知っている人は教えていただけませんか。
那珂通世博士も、武内宿禰や播磨稲目大郎媛の年齢は計算していても、オホクニの年齢までは言及されておりません。と云うより、計算する根拠がなかったので書けなかったのです。だから、古事記でも「不得白」としか書けんかったのだろうと思います。それくらい記録も何もない暗澹たる太古の事だと言う事をも言い表しているのだと思っております。神の世界としての現実の世界よりかけ離れた特殊な社会を、まだ、知識の浅薄だった時代が描きだした歴史のロマンとしてみなくてはならないのではないでしょうか。