“八日八夜”は、<ヤカヤヨ>と読ましております。なぜ「日」が<ヒ>でなく<カ>なのでしょうか、それについて、これ又、宣長先生の御説ですが、「日」を「カ}と云うのは
“加<カ>とは、気<キ>を通はし云る言にて、気<キ>は、経日数<フルヒカズ>の長きをよめる。・・・かくて気<キ>は「来経<キヘ>」のつまりたるなり。”
と説明しております。
最小単位の「一日」が段々多くなっていく状態を「来経<キヘ>」それが<カ>に変化しだのだと。
だから、「一日」は、何処までも<ヒトヒ>で、此の「一日」の単位が、それ以後、二日。三日と「来経キヘ>」増えて行き、それに伴って、<フツカ><ミッカ>・・<ヤカ><ココノカ><トウカ>となったのだと説明があります。
なお、「二日」は<フタカ>ではなく<フツカ>。「七日」は<ナナカ>ではなく<ナヌカ>と読んでおりますが。
そこら辺りに縄文からの日本人特有の不可思議な発音が絡み合って、文法的解釈の及ばない発音で言われるこれ等の言葉が生まれて来たのではないでしょうか
「文法学者じゃあるめえし、そげえに こむずかしゅう かんがえんでも ええじゃろうガ」との御批判があるのは分かっておりますが????
“加<カ>とは、気<キ>を通はし云る言にて、気<キ>は、経日数<フルヒカズ>の長きをよめる。・・・かくて気<キ>は「来経<キヘ>」のつまりたるなり。”
と説明しております。
最小単位の「一日」が段々多くなっていく状態を「来経<キヘ>」それが<カ>に変化しだのだと。
だから、「一日」は、何処までも<ヒトヒ>で、此の「一日」の単位が、それ以後、二日。三日と「来経キヘ>」増えて行き、それに伴って、<フツカ><ミッカ>・・<ヤカ><ココノカ><トウカ>となったのだと説明があります。
なお、「二日」は<フタカ>ではなく<フツカ>。「七日」は<ナナカ>ではなく<ナヌカ>と読んでおりますが。
そこら辺りに縄文からの日本人特有の不可思議な発音が絡み合って、文法的解釈の及ばない発音で言われるこれ等の言葉が生まれて来たのではないでしょうか
「文法学者じゃあるめえし、そげえに こむずかしゅう かんがえんでも ええじゃろうガ」との御批判があるのは分かっておりますが????