海神は、その木にいた壮夫<オトコ>が虚空津日高(皇太子)だと分かって、すぐ、
“即於内率入而<スナワチ ウチニ ヰテイレ マツリキ>”
「即座に、何はともあれ、その様な樹の上でなく、どうぞ、どうぞ、我が家にお入りください。」
と、宮殿の中の部屋に案内するのです。
古事記には、そのもてなしの様子が詳しく記されてあります。まず、
“美智皮之畳<ミチカハノタタミ>”
を敷いたとあります。
これも宣長のお出ましですが、「美智」は、日本書紀には“海鱸<ミチ>”とあり、「あしか」のことだと説明がしてあります。興味あるお方は、大変面白くその「美智」について詳しく説明がしてありますので、お読みください。
宮殿に案内して、そのあしかの皮を八重も敷いて、更に、
“絁畳<キヌ タタミ>八重敷其上<ヤヘヲソノウエニシキテ>”
を、これまた、絹で出来た敷き物を八重も重ねて敷き、その上に坐らせたのです。
なお、「八重」というのは実際に八枚と云う意味ではなく、「それくらい沢山敷いて・・・」と云う位の意味で書かれた言葉です。
なお、これほどまでに火遠理命を丁重に扱ったのを書紀には、「一書に曰く」として
“慇懃奉慰<ネモコロニ ツカヘマツル>”
とだけ書かれてあります。
まあ、いずれにしても、ものすごく丁寧におもてなしをしたのだと言うことが分かります。「虚空津日高」だったからです。
ここら辺りのもてなしの様子からも分かるのですが、先の塩椎神<シオツチノカミ>が、前もって綿津見神に、何らかの方法で
「これから火遠理命をそちらの送り届けますから、どうぞ話を聞いてあげて、お助けいただきたいのですが・・・」
とか何とか言って連絡していたと思います。そうでなかったならば、事前に大変高価な物まで用意して、座る場所まで準備することは出来てはいないはずですし、海の底にいる海神が樹の上にいる人が「虚空津日高」だと知ることもないと思われますが?????
“即於内率入而<スナワチ ウチニ ヰテイレ マツリキ>”
「即座に、何はともあれ、その様な樹の上でなく、どうぞ、どうぞ、我が家にお入りください。」
と、宮殿の中の部屋に案内するのです。
古事記には、そのもてなしの様子が詳しく記されてあります。まず、
“美智皮之畳<ミチカハノタタミ>”
を敷いたとあります。
これも宣長のお出ましですが、「美智」は、日本書紀には“海鱸<ミチ>”とあり、「あしか」のことだと説明がしてあります。興味あるお方は、大変面白くその「美智」について詳しく説明がしてありますので、お読みください。
宮殿に案内して、そのあしかの皮を八重も敷いて、更に、
“絁畳<キヌ タタミ>八重敷其上<ヤヘヲソノウエニシキテ>”
を、これまた、絹で出来た敷き物を八重も重ねて敷き、その上に坐らせたのです。
なお、「八重」というのは実際に八枚と云う意味ではなく、「それくらい沢山敷いて・・・」と云う位の意味で書かれた言葉です。
なお、これほどまでに火遠理命を丁重に扱ったのを書紀には、「一書に曰く」として
“慇懃奉慰<ネモコロニ ツカヘマツル>”
とだけ書かれてあります。
まあ、いずれにしても、ものすごく丁寧におもてなしをしたのだと言うことが分かります。「虚空津日高」だったからです。
ここら辺りのもてなしの様子からも分かるのですが、先の塩椎神<シオツチノカミ>が、前もって綿津見神に、何らかの方法で
「これから火遠理命をそちらの送り届けますから、どうぞ話を聞いてあげて、お助けいただきたいのですが・・・」
とか何とか言って連絡していたと思います。そうでなかったならば、事前に大変高価な物まで用意して、座る場所まで準備することは出来てはいないはずですし、海の底にいる海神が樹の上にいる人が「虚空津日高」だと知ることもないと思われますが?????