“淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤、”
と、言いながら鯛の喉<ノミト>から取りだした鉤を火照命<ホデリノミコト>に渡しなさいと誨<オシ>えます。
「淤煩鉤<オボチ>、須須鉤<ススヂ>、貧鉤<マヂチ>、宇流鉤<ウルヂ>」???
と。
「淤煩<オボ>」は、辞書によると「おほぼし」で「はっきりしない。心が晴れない。ゆううつ」でとあります。これを、宣長は「鬱悒<オホホシク>」で「愁思ふことの有て、心の晴れぬ意」だと説明しております。
また、「須須<スス>」は、「須佐<スサ>」で「すさび」で、「心が進み落ち着かなくて荒ぶる」ことだと。
「貧」は<マヂ>で、<マズシ>がつまって出来たもので、貧しいと言う意味で、
「宇流<ウル>」は「うろたえる。うろうろする。」だと。
なお、この綿津見神から火遠理命に鉤を火照命に渡す時に言いなさいと誨えられた言葉が、書紀には、「1書に曰はく」として「陰(ひそか)にこの鉤を呼びて貧鉤と曰ひて、然る後に与えたまへ。」など4通りの違った授け方が書かれております。念のために・・・・
と、言いながら鯛の喉<ノミト>から取りだした鉤を火照命<ホデリノミコト>に渡しなさいと誨<オシ>えます。
「淤煩鉤<オボチ>、須須鉤<ススヂ>、貧鉤<マヂチ>、宇流鉤<ウルヂ>」???
と。
「淤煩<オボ>」は、辞書によると「おほぼし」で「はっきりしない。心が晴れない。ゆううつ」でとあります。これを、宣長は「鬱悒<オホホシク>」で「愁思ふことの有て、心の晴れぬ意」だと説明しております。
また、「須須<スス>」は、「須佐<スサ>」で「すさび」で、「心が進み落ち着かなくて荒ぶる」ことだと。
「貧」は<マヂ>で、<マズシ>がつまって出来たもので、貧しいと言う意味で、
「宇流<ウル>」は「うろたえる。うろうろする。」だと。
なお、この綿津見神から火遠理命に鉤を火照命に渡す時に言いなさいと誨えられた言葉が、書紀には、「1書に曰はく」として「陰(ひそか)にこの鉤を呼びて貧鉤と曰ひて、然る後に与えたまへ。」など4通りの違った授け方が書かれております。念のために・・・・