古事記を読んでおると、しばしば、「これ何と云う字??」と、天国のちょうちょうさんに尋ねなくてはならないような漢字に出くわします。今日もそんな字にお目にかかります。
「誨」
です。辞書によりますと(おしえる)と読むのだそうです。ここにある「毎」は、また、「くらい」と云う意味があるとも書いてあり、物事の道理に暗い人に言葉でおしえるの意味を表す漢字なのだそうです。
「なるほどとなあ。」と。朝から感嘆しきりです!!!!!!!!!
さて、その字は、綿津見神が鯛の喉に引っ掛かっていた鉤を取り出して、火遠理命に渡す時に、
“大神誨曰之<オオミカミ オシエ マツリケラク>”
とあります。「おしえ」たのです。
“以此鉤。給其兄時<コノハリヲ ソノイロセニ タマハムトキニ”
とです。「この鉤を貴方様の兄上に差しだす時にはいいですか・・・・」
ここでも、また、漢字の妙が伺われます。それは「賜」でなく「給」の字を使っていることです。宣長は、この「給」について、
「給其兄、こは火遠理ノ命を尊崇<タフト>み、又火照ノ命を賤<イマシ>め悪<ニク>みて、御兄なれども、給<タマ>ふと云うなり。」
と書いてあります。余程、細かく注意していないと、「給」の字までに留意しながら、そこまでは詳しく読むことは出来ないと思いながら、又。また。又。この本の偉大さというか、太安万侶の偉大さを考えながら読んでおりますが、どうでしょうか?????
「誨」
です。辞書によりますと(おしえる)と読むのだそうです。ここにある「毎」は、また、「くらい」と云う意味があるとも書いてあり、物事の道理に暗い人に言葉でおしえるの意味を表す漢字なのだそうです。
「なるほどとなあ。」と。朝から感嘆しきりです!!!!!!!!!
さて、その字は、綿津見神が鯛の喉に引っ掛かっていた鉤を取り出して、火遠理命に渡す時に、
“大神誨曰之<オオミカミ オシエ マツリケラク>”
とあります。「おしえ」たのです。
“以此鉤。給其兄時<コノハリヲ ソノイロセニ タマハムトキニ”
とです。「この鉤を貴方様の兄上に差しだす時にはいいですか・・・・」
ここでも、また、漢字の妙が伺われます。それは「賜」でなく「給」の字を使っていることです。宣長は、この「給」について、
「給其兄、こは火遠理ノ命を尊崇<タフト>み、又火照ノ命を賤<イマシ>め悪<ニク>みて、御兄なれども、給<タマ>ふと云うなり。」
と書いてあります。余程、細かく注意していないと、「給」の字までに留意しながら、そこまでは詳しく読むことは出来ないと思いながら、又。また。又。この本の偉大さというか、太安万侶の偉大さを考えながら読んでおりますが、どうでしょうか?????