私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

珍彦は・・・・

2019-04-14 09:44:06 | 日記
 命は珍彦に椎を船に索納<ヒキイレ>て椎の篙<サオ>授け、名前も「椎根津彦<シヒネズヒコ>」と呼んで、それからの海路の案内者としたのです。
 そこから筑紫の国の菟狭<ウサ>に至ります。そこの国造「菟狭津彦ウサツヒコ>」とその妹「菟狭津媛」が命を、菟狭の川上に

             “一柱騰宮<アシヒトツアガリノミヤ>”

 を造って、そこで“而奉饗焉<ミアヘ タテマツル>、饗応します。
 この「一柱騰宮」を江戸末期の萬延年間に出版された「大日本国開闢由来記」には、次の様に図示しておりますので見てください。