神倭伊波禮毘古命は高千穂ノ宮から
“坐何地者平聞看天下之政”
<イズレノトコロニ マサバカ アメノシタノマツリゴトヲバ
タヒラケク キコシメサム>
と兄“五瀬宮<イツセノミヤ>”と相談して、東を目指して出発し、
「・豊国宇沙⇒・竺紫<ツクシ>之岡田宮(一年)⇒・阿岐国之多祁理宮<アギノクニ タケリノミヤ>(七年)⇒・吉備之高島宮(八年)」
に至ります。
「阿岐国<アギノクニ>」ですが、これは「安藝国」です。
なお、夫々の地にいた期間について、日本書紀には
「高千穂を出発した時は“太歳甲寅<ホシキノエトラ>”としてあります。神武天皇即位前七年だそうです。そして、その年の十月五日に宇沙に、そこから今度は北へ進み、その年の十一月八日に筑紫の国の崗の水門<オカノミナト>に、その年の十二月二十七日に安藝国埃宮<エノミヤ>にお着きになられます。」
と書かれてあります。
すると、筑紫の崗水門に滞在した期間を古事記には「一年」と書かれたありますが、書紀によると、たった四十日間しか滞在していなかったように書かれておりますが、どちらが正しいのでしょうかね???
“坐何地者平聞看天下之政”
<イズレノトコロニ マサバカ アメノシタノマツリゴトヲバ
タヒラケク キコシメサム>
と兄“五瀬宮<イツセノミヤ>”と相談して、東を目指して出発し、
「・豊国宇沙⇒・竺紫<ツクシ>之岡田宮(一年)⇒・阿岐国之多祁理宮<アギノクニ タケリノミヤ>(七年)⇒・吉備之高島宮(八年)」
に至ります。
「阿岐国<アギノクニ>」ですが、これは「安藝国」です。
なお、夫々の地にいた期間について、日本書紀には
「高千穂を出発した時は“太歳甲寅<ホシキノエトラ>”としてあります。神武天皇即位前七年だそうです。そして、その年の十月五日に宇沙に、そこから今度は北へ進み、その年の十一月八日に筑紫の国の崗の水門<オカノミナト>に、その年の十二月二十七日に安藝国埃宮<エノミヤ>にお着きになられます。」
と書かれてあります。
すると、筑紫の崗水門に滞在した期間を古事記には「一年」と書かれたありますが、書紀によると、たった四十日間しか滞在していなかったように書かれておりますが、どちらが正しいのでしょうかね???