私の庭にエビネが咲きました。山に生えていたエビネですが、ようやくここまで増え、今年は20本もの花が付きました。
その美しい清楚な姿を見てください。
私の庭にエビネが咲きました。山に生えていたエビネですが、ようやくここまで増え、今年は20本もの花が付きました。
その美しい清楚な姿を見てください。
スサノヲの悪行が続きます。今度は
“逆剥天班馬天剥而<アメノフチコマヲ サカサニ ハギテ>”
とあります。高天原に放牧されていたのでしょうか、まだら模様の馬をひっ捕まえて、それをお尻りの方から逆さ剥ぎに剥ぐのです。
この馬に付いて、宣長は
「馬が我が国に渡ってきたのは百済から送られたと言い伝えられおり、後漢書にも日本には「牛馬なし」と書かれている。しかし、書紀には、保食神の頂に『化為牛馬<ギュウバ ナレル>』事も見える」
と、説明しております。
まあ、それは兎も角もスサノヲが生き馬の皮を剥いだことには間違いありません。アマテラスが神に捧げるための布を織る殿
“忌服屋<イミハタヤ>”
をお造りりなり、その殿で、天布織女に布を織らしていたのです。その殿の梁を打ち壊して、スサノヲはそこから逆さ剥ぎした生き馬の血が流れ出ておる皮を投げ落としたのです、その時、御神布を織っていた織女が
“於梭 衝蔭上而 死<ヒニ ホトヲツキテ ミウセキ> ”
さあ、大変なことが起きてしまったのです。大切な神に捧げるための布を織っていたうら若い女性が、驚いて死んでしまったのです。いくら弟思いの姉だって、そのまま弟をかばい通すことはできません。上を下への大騒ぎです。
「そんな乱暴者は殺してしまえ」
と、いう意見の出ないわけがありません。そんな危機を避ける方法がないかとアマテラスはお考えになったのだと思います。あなたならどうしますか????
私が持っている本の中で自慢出来る絵本と云えば、天保年間に出版された葛飾北斎の
「富嶽百景」
です。
この本は、今で言う純粋なる「絵本」ではないかもしれませんが、現在、日本にある絵本の中でも「貴重本」とされている一冊であることには間違いありません。岡山県では、この江戸期に出た本で、私の持っているもの以外にはないはずだと思っておりますが???。
その絵をどうぞ!!!
アマテラスは姉としての鷹揚な態度で、弟スサノヲの数々の悪行を“登賀米受<トガメズ>”していたのですが、それに対して“清明<アカキ>”心を持って居ると大見栄を切ったスサノヲであるはずですが、こともあろうか最愛の姉に対して赤心など微塵もない、
“愈進<イヨイヨススミ>て、殊に、甚しくなるを云フなり”
と、宣長は「古事記傳」に説明しておる通りの悪行を続けます。スサノヲが自負した清明はどこへ行ってしまったのでしょうかね。姉に対する弟の甘えでしょうか、ついつい有頂天になって、己の清明な心を忘れて乱暴な行為を続けたのでしょうか???不思議ですね。書紀にも、これと同じことが書かれていますから、間違いなくスサノウの悪行が続いたのです。神様でも姉弟となるとその行為は人と同じようなことをしでかすのかなと思いますが???どうでしょうかね。
さて、次にした、スサノヲの悪行はと云いますと、これは殆どの人が知っているのではと思われます、あの生き馬の皮を剥いで姉が機織りしている所の屋根を壊して投げいれる事件を起こしています。これも、また、明日にでも・・・・・・。
弟「スサノヲ」を愛しいと思い、その狼藉に対して寛容な態度でその行為を
“登賀米受<トガメズ>”
していたのですが、スサノヲは
“詔雖直<ノリ ナホシ タマヘドモ>”
「姉の心、弟知らず」で、
“猶其悪態不止而転<ナホ ソノパシキワザ ヤマズテ ウタテアリ>”
「転<ウタテ>」とは、今、行われていることが、愈々益々、激しくなることを意味します。
この「転<ウタテ>という言葉に付いて、宣長は古今集の
“あはれてふ ことこそうたて 世の中を 思ひはなれぬ ほだしなりけれ”
”散るとみて あるべきものを 梅の花 うたてにおいの 袖にとまれる”
などの「うたて」と同じ意味だと言っております。