私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

日本歴史に初めてお酒が

2017-04-20 07:05:18 | 日記

 アマテラスは弟スサノヲのしたことを“登賀米受而<トガメズテ>”、更に、その原因まで愛情を懸けて周りの者たちを宥めております。それが

                       ”酔而吐散<エイテ ハキチラス>”

 即ち、お酒を飲んで余り飲みすぎて、それを吐いただけであって、決して、大小便(屎麻理)を散らしたのではないと弁護しております。誠にお優しい弟思いの姉でしょうかね。
 これからもわかるように、当時、神の世にも、既に、あ酒は神々の間にも飲まれていた証拠です。ここで日本の歴史に初めて「お酒」が登場します。これが、後に出雲の国でのスサノヲがオロチ退治をする場面で「お酒」を使う事の誘因になっているのです。誠に上手な文章の構成だと思いませんか。

 何処までも優しい姉を書いております。更に、その優しさはまだまだ有ります。田の畔をめちゃめちゃに壊したスサノヲに対してもその優しさが現れております。

            “我那勢命<アガ ナセノミコト>”

 最大限の敬愛を込めて「なせのみこと」と弟を呼んでいるのです。
 
 「弟が畔を壊したのも、溝を埋めたのも」

                   “地矣阿多良斯登<トコロヲ アタラシ ト>” 

 「そこは新しく開くと立派な田になると思って」。

                   ”為如此登<カクシツラメト>”

 「あのように壊したのです。」と。・・・なんて心やさしい姉でしょうかね。

                           ここで一言
。 
 「教育勅語」だなんて、何だか今日の政治は変な方向に向かっているように思えるのですが、それよりも、もっと、このような古事記からのお話を小学校の道徳の時間に取り入れるべきではないでしょうかね。どうお思いでしょうかね?????


大様なるアマテラス

2017-04-19 09:29:17 | 日記

 やはり姉弟です。姉の弟を思う心が神様にもあるのです。スサノヲが大嘗殿に大小便を撒き散らしても、その行為に付いて、次のように云って弟を慮っております。

      “如屎。酔而吐散登許曾<クソナスハ エヒテ ハキチラスコソ>”

 とです。

 {何て、お優しい姉君だ事」と感心させられます。しかし、姉の心知らずの我儘弟です。


悪逆無道な行い

2017-04-18 08:23:20 | 日記

 スサノヲは自分の勝ちを知ると「清明」どころの話ではありません。それこそ幼稚園の園児でもしないような、誠に、無邪気と云おうか悪たれ坊主のごとき無道な行いをします。田圃の畔を壊したと思うと、何かまだ,自己満足がいかないのかもしれません。次に、これも子供でなくてはしないような幼稚な悪たれを行います。悪逆な行為とは異なります。それが

                “其於聞看大嘗之殿屎麻理散<ソノオホニヘ キコシメストノニ クソマリ チラシ>”

 「聞看<キコシメス>」とは「お食べになる」という意味です。「大嘗<オホニヘ>」とは新しくその年に出来た米を炊いて初めて天皇がお食べになるお祭りです。それを整えるために造られた場所に、あろうことか、スサノヲは「屎<クソ>」や「麻理<マリ>」(小便)をしてまわったと言うのです。
 何と幼稚な悪たれでしょうかね。物を壊し暴力行為に及ぶでも無しの、それが精一杯のスサノヲができる姉に対する誠に可愛らしいとすら言えるような理由なき反抗だったのです。スサノヲが、最初に、この高天原に来た時の姉アアテラスの物々しい警戒をして出迎えたことに対する弟らしい無言の精一杯の行為でもあったのだと思います。だからこそ、そのような弟の行為に対して姉のアマテラスは、何も

                         “登賀米受<トガメヅ>”

 という大様な態度がとれたのだと思います。さ


i営田之阿」を離<ハナ>つ。荒らぶるスサノヲの第一段目です。

2017-04-17 14:01:34 | 日記

 「私が勝ちですね」とスサノヲ。これで「総てがよければ」と言うことにならないのです。その続きがまだまだあるのです。日本歴史の物語として、此の続きがなくてはならないのです。これら事件の継続があって初めて日本の歴史が生まれるのです。誰が何時頃、どのようにして造り出したのかは不明ですが、誠にお上手に作り上げたものです。何年も何年もの時代を変遷して考え出しただと思われます。決して、一人でこれだけの物語を作り出せるものではありませんもの。その辺りが古事記の古典としての価値があるのではないでしょうか。
 「佐備<サビ>」という2文字を使って、それ以後の天上世界の動きの多様性を作り上げてきているのです。思わず「うまい」という感嘆の声を上げないわけにはいかないようにです。この2文字がなかったら、次のスサノヲの高天原での行動は、決して、生まれ出るものではありませんよね。スサノヲの「佐備」、勝ち誇りの気持ちがそのままスサノウヲの体に現れて「荒ぶる」行為をしでかすのです。その第一歩が

                 “離天照大神之営田之阿<アマテラスオオミカミノ ミツクダノ ア ハナチ>”

です。
 「阿」とは畔です。アマテラスが「営田<ミツクダ>」自ら作られた田の「阿<ア>」、即ち、「畔」を離ち、ひきはなつ、めちゃめちゃに壊してしまったのです。

                 ”勝佐備”たスサノヲの第一段です。

 

更に引き続いて、これもとばかりに、田に水を入れる溝をぶち壊してしまいます。こうなると手のつけようがありません。


「この勝負私の勝ちですね」

2017-04-16 16:58:05 | 日記

 スサノヲは姉アマテラスニ云います。

                   “自勝云而。於勝佐備<ノズカラ アレカチヌトイイテ カチサビニ>”

と。「私の方が姉上との“宇気比<ウケヒ>”(神誓)で勝ちましたね」と、さも満足そうに勝ち誇ります。「佐備」とは、どうだと言わんばかりに大柄な態度で進み荒らぶることを云うのだそうです。

 では、どうして、スサノウが自分が勝ったと言ったのでしょうかね。それはアマテラスがスサノウの十拳剱を使って産ませた神は三人は女でした。それに対して、スサノヲが姉の八坂勾璁を借りて生まれた五人の神は男でした。それを見てスサノヲは

  「どうです。私の剱から生まれた神は総て心やさしい女の子です。“手弱女<タワヤメ>”。これからも分かるように、“我心清明<アカキ>”。私の心は清らかで何の異心も隠してはいませんよ。姉君」