私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「宇志波祁流」

2018-06-25 11:33:44 | 日記
 もう少しの間、このオホクニノことについて書いてまいります。

 さて、内面的思想上の事実」である古事記ですが、読めば読むほど訳の分からないことが太平洋の海よりも深く広がっていることにきずきます。
 建御雷神が跌坐<アグミイテ>、オホクニに云った言葉ですが

    “汝之宇志波祁流<ナノ ウシハケル>”

 主<ウシ>として、そこを我物のように占拠することだそうです。要するに、天上国に対して地上国「葦原中国<アシハラノナカツクニ>を支配していたのが大国主神<オホクニヌシノカミ>なのです。

 しかし此の葦原中国は、当時、

            ”伊多久佐夜藝弖 有祁理<イタクサヤギテ アリケリ>”

 大変乱れていたはずです。そこら辺りのことは、このミカズチノカミがおり立ちたところにはその乱れている様子は何も説明してありません。

古事記は「内面的思想上の事実」が語る物語です

2018-06-24 10:39:34 | 日記
 このような対応の仕方があったのかと驚くべき対面の方法が書かれたあります。もう一度その方法を書いてみますので。どうしてこのような方法がとお考えいただくのもいいのではと思い・・・
 天上世界から葦原中国の伊那佐之小浜に降り立った建御雷神<タケミカヅチノカミ>と天鳥船神<アメノトリフネノカミ>はオホクニヌシの館を、直接、訪ねるのでなく其の浜に打ち寄せる波頭にわざわざ持っていた剣を逆さまに建ててその切っ先に座って呼びかけるのです。誠に失礼な訪問の仕方ではないでしょうか。オホクニもアマテラスの弟スサノウのお子様です。不敬に当たるのではないでしょうか。事前の連絡も何もない急な出番です。オホクニも相当な驚きだったのではいでしょうか???それも。跌坐<オクミイテ>です。それが日本の上代の作法だったのでしょうか???普通なら考えられない方法で訪問しております。
 そこら辺りの描写方法が、今、飛ぶように売れているあの津田左右吉の

     「古事記及び日本書紀の研究」

の中に書かれている
 「機器の記載には事実らしからぬ物語が多いが、それがためにそれらの物語が無価値であるのではない。事実でなくとも、むしろ事実でないがために、かえって、それに特殊な価値がある。それは現実に生起した事件という意義での事実ではないが、かえって、それに特殊なの価値がある。・・・」
 が、それを物語っているのです。

  話は別になりますが、此の本面白いですよ!!ぜひ一度御手に取って読んでみてはいかがでしょうか。
    「いわんでも ええことを ゆうな」
 と、お叱りは覚悟して書いてみました。お笑いください!!  ?????

跌坐其剱前

2018-06-22 09:55:59 | 日記
 又、これも大変現実にはありもしないような光景だと思いますが、古事記には、このような言葉で書かれたあります。

    <ソノツルビノサキニ アグミイテ>

 です。剱の切っ先(鋒<ホコサキ>)にです。そこに趺坐<アグム>のです。剱の先に腰かけるように足を前に垂らして座ることです。それも二柱の神が揃ってです。考えられない様な事が、さも現実にありそうに、それらしくたった五文字でその時の様子を描きだしております。
 私は其の座り方ですが<アグラヲカク>ような座り方ではなく、写真のような「半跏像」型ではなかったかと思っておりますが、どうでしょうか???

             

             

建御雷神と天鳥船神は

2018-06-21 11:07:21 | 日記
 此の二柱の神は「伊那佐之浜」に降り立ち。此処ら辺りから、「口継伝承」と云いましょうか、誠に摩訶不思議な風景を古事記には記しております。

 
        “抜十掬剱逆刺立于波穂
       <トツカノツルギヲヌキテ ナミノホニ サカサマニサシタテテ>

         
 これだけ読んで、二柱の神がどのような姿勢でその場に臨んだかと云うことは現代のわれわれの感覚では想像すること不能です。
「波穂」ですからあの葛飾北斎の描く「神奈川沖波裏」に見られるような逆巻く波の上に剱を逆さま立てたというのです。物理学的でも、そんなに波が同じ体制を保持することなど出来りはずがありませんし、引力があります。しかし、古代の人達の想像力は、現代人の我々想像をはるか越えて、知識がないだけに、自由に物事を思うままに想像の力を働かせてどのようにも処理することができる力があったのです。現代的な知識がないのですから、現代人なら到底考えも及ばないことですが、自由に形作り豊かな世界を頭の中に描くことができたのです。そのような意味で、古代は、大変な豊かな世界だったと思われますのですがどうでしょうかね。あの縄文の「火炎土器」のようにです
 

伊那佐乃小浜

2018-06-20 09:29:30 | 日記
 <イナサノハマ>です。「建御雷神」とその副將「天鳥船神」が天上から出雲の国に降りられた場所です。宣長の説明によりますと

   “神名帳によると出雲ノ国出雲ノ郡因佐ノ神ノ社あり其の処なり”

 とあります。更に、ここは、日本書紀にオホクニがスコナヒコナに出逢った場所

       “五十狭々之小浜<イササノオバマ>”

 であるとも、説明があります。

 まあともかくにも、此の二柱は出雲に降り立ちて、早速、オホクニに問いかけます。と云うことは、此の「伊那佐之小浜」にオホクニの宮があったということでしょうか??
 なお、ここは、オホクニがその妻「須世理毘売<スセリヒメ>」と、最初に住んだ

    “宇迦能之山本”
 
 とは違います。ねんの為に!!!!