<カササノミサキ>と読みます。この場所も何処にあるのか、未だ、よく分からないのですが、宣長は、鹿児島県川邊郡の西岸の何処かだと推測されております。そうすると、その場所からは、決して、「朝鮮半島=韓国」は見えないばかりでなく、行くことすら考えられない場所ですから、「カラクニ」は日本書紀にある「空国」が正しいのではないかと思います。
そんな一日中、日当たりの良い所が、邇邇藝命には大変気にいって、そこに
“於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原冰橡多迦斯理而。坐也”
たのです。
<ソコツイハネニ ミヤバシラ フトシリ タカマノハラニ ヒギ タカシリテ マシマシキ>と読んでいます。
「地の底にまで深く太い柱を立てて、高天原に届くばかりに高い千木を乗せた屋根を築いて、そこに住んだのです。
なお、「斯理<シリ>」とは「知<シリ>」や「敷<シク>」で、「どっしりとして、シリにシクように、その場に坐す」という意味があるのだそうです。
なお、これと全く同じ文章は、あのオホクニがスサノヲの娘「須世理毘売」と一緒に「宇迦能山」の山本に宮殿を建てた時にも、また、オホクニがお隠れになる神殿を出雲に建てる時にも、この表現と同じ文が見えます。言わずもがなですが・・・
そんな一日中、日当たりの良い所が、邇邇藝命には大変気にいって、そこに
“於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原冰橡多迦斯理而。坐也”
たのです。
<ソコツイハネニ ミヤバシラ フトシリ タカマノハラニ ヒギ タカシリテ マシマシキ>と読んでいます。
「地の底にまで深く太い柱を立てて、高天原に届くばかりに高い千木を乗せた屋根を築いて、そこに住んだのです。
なお、「斯理<シリ>」とは「知<シリ>」や「敷<シク>」で、「どっしりとして、シリにシクように、その場に坐す」という意味があるのだそうです。
なお、これと全く同じ文章は、あのオホクニがスサノヲの娘「須世理毘売」と一緒に「宇迦能山」の山本に宮殿を建てた時にも、また、オホクニがお隠れになる神殿を出雲に建てる時にも、この表現と同じ文が見えます。言わずもがなですが・・・