道明寺天満宮の梅園
満開が
今年は本当に早かった
道明寺天満宮の今年の満開は2月19日と早かったが平成21年2月15日満開の実績はある
咲き始めの時期と満開の時期はリンクしない様だ
2月26日から散り始めだ。平成17年以降で1番早い年
今年は暖かいのでチョット気になり
ネットで見てみた
小生が訪れたのは
2017年:平成29年3月2日 晴れの日 3年前の今日だ
道を隔てて
道明寺にチョット
★近鉄バッファロー監督 吹石 & 娘 吹石一恵 サイン
歴史
埴輪を作って殉死の風習を変えた功績で、垂仁天皇32年に野見宿禰は土師臣(はじのおみ)の姓とこの地を与えられた。
そして、その子孫である土師氏は野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社を建立した。
仏教伝来後に土師氏の氏寺である土師寺が土師神社の南側に建立され、やがて神宮寺となった。
伝承では聖徳太子の発願により土師八島がその邸を寄進して寺としたという。
この土師氏からはやがて菅原氏や大江氏、秋篠氏が分流していく。
平安時代、土師寺には菅原道真のおばに当たる覚寿尼が住んでおり、道真も時々この寺を訪れている。
この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。
901年(昌泰4年)、道真は大宰府に左遷される途中に当社に立ち寄って、覚寿尼との別れを惜しんだ。
道真遺愛の品と伝える硯、鏡等が神宝として伝わり、6点が国宝の指定を受けている。
947年(天暦元年)には道真自刻と伝える十一面観音像を祀って土師寺を道明寺(現在は真言宗御室派の尼寺)
と改称(道真の号である「道明」に由来)し、土師神社内に天満宮も創建された。
時代が下ると道真ゆかりの地ということで、道明寺は学問の神としての信仰を集めるようになっていき、
土師神社も天満宮が中心となっていった
1575年(天正3年)織田信長の古市高屋城攻めで社殿、五重塔などを焼失したが、
同年中に信長の寄進を受ける。1583年(天正11年)次いで1594年(文禄3年)には豊臣秀吉から、
後には江戸幕府からも寄進されている。1716年(正徳6年)には石川が氾濫したため、
道明寺が天満宮境内に移転し、両者はやがて一体化していく。
1872年(明治5年)神仏分離することとなり、
道明寺の五坊のうち二之室が神職家となって6月に天満宮は土師神社に改称した。
翌1873年(明治6年)9月に道明寺は分離し、道を隔てた西隣の地に移転した。
1952年(昭和27年)に土師神社は道明寺天満宮と改称する。現在も学問の神として地元の人々に親しまれている。
また境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている