格差論者が語らない貧困の本質 「経済的自由」と「勤労のカルチャー」がアメリカの繁栄をつくってきた
2021.02.14(liverty web)
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《本記事のポイント》
- 格差論者が焦点を当てない「個人の努力」
- 米保守系シンクタンクで示された成功の公式
- 経済のパイが拡大しなければ、チャンスの平等は存在しないに等しい
アメリカで、フランスの経済学者トマ・ピケティの共同研究者エマニュエル・サエズ氏が『つくられた格差』と題した本を発刊。昨年、日本でも翻訳が発刊されている。「資本主義国家アメリカで格差が拡大中で、再分配しなければ格差はいっこうに縮まらない。持てる者と持てない者との差が開き続ける、だから富裕層に対する累進課税を強化すべきだ」という議論が展開されている。
最近この種の議論がアメリカで支持者を獲得している。格差を拡大する資本主義を悪者にする議論が、バイデン政権発足とともに勢いを増しているかのようだ。
なぜ貧困に陥るのか
まず「富裕層」と「貧困層」の二つの階級があるかのような議論は、扇動された貧困層からの政治的な支持を取り付けた政治家を利するかもしれないが、よくよく見ると、貧しい者を何ら利することがない議論である。それは、貧困に陥る理由についての考察が不十分だからである。
米ブルッキングス研究所によると、(1)アメリカでは高校を卒業し、(2)フルタイムの職業に就き、(3)結婚したり子供をもうけたりするのを21歳まで先延ばしにすると、貧困層の98%が貧困から抜け出て、75%が中流階級に入ることができるという。("Three Simple Rules Poor Teens Should Follow to Join the Middle Class"The Brookings Institution, March 13, 2013)
また政治家学者のチャールズ・マレー氏は、著書『Coming Apart』の中で、高校を卒業せず、結婚前に子供をもうけることが最大の貧困理由となっていると述べている。
フルタイムの仕事があるかどうかは、景気に左右されるにしても、それ以外の貧困事由は、資本主義か社会主義かといった経済学の問題というよりも、自制心やセルフ・ヘルプの精神があるかどうかに関係している。
格差論者が焦点を当てない「個人の努力」
そうであるならば、むしろ着目しなければならないのは、格差というよりもどうやって自制心やセルフ・ヘルプの精神を身に着けるかという点になる。
大川隆法・幸福の科学総裁が行ったサミュエル・スマイルズの霊言で、『自助論』を著したスマイルズ霊はこう述べている。
「ですから、人間も、自分自身について、『主人公は魂だ』と考え、精神のほうが主体を持つことによって、怠惰になっていきやすい肉体中心の生活を律していく、そういう習慣をつくることが大事ですね。これが大きな道を拓いていくでしょう」(『現代の自助論を求めて』より)
あるプロのバイオリニストは、「歯磨きをするように、バイオリンの練習をしています」とテレビ番組で述べていたが、日々の習慣による努力がなければ、才能があったとしても、それを維持し、お客さんに喜んでもらう演奏をしつづけるのは難しい。「玉磨かざれば光なし」と言われる通りである。
そうした「個人の努力」について滅多に光を充てないのが、アメリカのリベラル(左派)の格差論者である。
米保守系シンクタンクで示された成功の公式
この努力の大切さについて真正面から取り上げた論文がある。米シンクタンクのヘリテージ財団のレア・ヘダーマン氏とデービッド・アゼラード氏「夢の擁護:なぜ所得格差は機会を脅かすことにならないのか(Defending the Dream: Why Income Inequality Doesn't Threaten Opportunity)」という論文だ。
二人は、こう訴える。
「左派の新しいアメリカン・ドリームは第一義的に、連邦政府が機会を提供し、所得を平等に分配することを確実にするということになってしまいました。個人の努力は、政府支出やゆりかごから墓場までを可能とする福祉に比べて、二番手に甘んじることになったのです」
両氏は、論文の中で成功者になるための「繁栄の公式」をこう示している。
経済的自由+勤労のカルチャー=繁栄と機会
財産権の自由、法の支配、自由市場などで「経済的自由」が担保されているのはもちろんのこと、成功者になるには、それだけでは十分ではない。成功者になろうと「思う」だけではなく、形ある成果を上げるには勤労のカルチャーが不可欠で、その重要さは、強調してもしすぎることはないとする。
しかも勤勉に努力し、自由社会が与えてくれる「機会」という梯子を上っていくイメージが、もともとのアメリカン・ドリームにはあったが、リベラルは、エスカレーターに乗れば、自動的に努力せずに結果にたどり着くことができるとアメリカン・ドリームを曲解しているという。
それが建国の父たちが期待していたような自助努力型の国民から、全能の政府へ依存し、成功する他者に嫉妬するような国民性の変容をも引き起こしているというから、問題は深刻である。
アメリカン・ドリームをラディカルに再定義するリベラルが勢いを増す中、両執筆者は、繁栄の原点にあった「努力の大切さ」を浮き彫りにしていく。
取り上げられているのは、建国後まもなくアメリカにやってきたフランスの政治家のアレクシス・ド・トクヴィルの言葉だ。
「お金持ちは商業に従事したり、公的任務を担ったりするなどの何らかの労役を果たしている。自分のためだけに人生を使うことは、恥ずべきことだという自覚があった」
フランス革命後も貴族制の残滓が存在したフランスでは、富を所有する者は、余暇を楽しむのが"仕事"であった。つまり「生産性」と無縁の貴族階級が存在していたわけで、そのこと自体が腐敗の温床となっていたのである。そのトクヴィルにとって貴族階級に当たる金持ちが、進んで労働に従事する姿は驚きでしかなかった。
また両氏は、アメリカの繁栄をつくった「勤労のカルチャー」には「自立の心構え」があったとして、こう述べる。
「商業的共和国」アメリカは「自立の心構え(self-reliance mindset)」を人々の心に植え付け、「依存」は恥ずべきものだし、他者に助けを期待することや、ましてやそれを要求することはなかった。労せずに得た報酬は、軽蔑すべき対象だった。
そして両氏は、奴隷出身で政治家としても活躍したフレデリック・ダグラスの言葉を引用する。
「働け! 働け!! 働け!!! 働け!!!! 気まぐれで一時的な努力ではなく、忍耐強く、辛抱強い、正直で絶え間のない、疲れ知らずの仕事が必要であり、その仕事に心を込める時、時の流れの中で霊的に見たとき、真に奇跡の働き者になる」
カマラ・ハリス副大統領に象徴されるように、米民主党の政治家の中には、人種差別を受けてきたことへの犠牲者意識から、富める白人から再分配することが当然であるという権利意識を国民に植え付ける者もいる。だが黒人解放運動をリードしたフレデリック・ダグラスは、それとは正反対の生きざまを残している。
経済のパイが拡大しなければ、チャンスの平等は存在しないに等しい
アメリカン・ドリームを形作ってきたこうした精神から、固定した階級のないアメリカが創られた。リベラルは、トップ1%をやり玉に挙げるのが常であるが、そのトップ1%はいつも入れ替わっているし、歳入全体の4割税負担をしているのが、このトップ1%である。
そもそも「機会」がなければ、貧困層は成功への梯子を登ることはできない。経済のパイが拡大していく中で景気がよくなり、雇用も生まれるので、減税や規制緩和など、経営者の労働意欲を高める経済政策を採ることが不可欠である。
冒頭のサエズ氏のように、所得格差に着目する経済学者には、経済全体のパイを増やす経済政策の研究をしないため、本当は「貧困」問題の解決に無関心なのかもしれないと言いたくなる。
「アメリカは労働の国です」──そう言い切ったのはベンジャミン・フランクリン。そんな勤労のカルチャーが徐々に薄れていることに危惧を覚えるのは、この記事を書いている筆者だけでないだろう。
(長華子)
【関連書籍】
『バイデン守護霊の霊言』
幸福の科学出版 大川隆法著
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