
◆相川地区◆
こんにちは。市民レポーター、「かずさん」こと武田和巳(68才)です。
私は“健康のために甲府の街を散歩しながら、新しい発見をする”を目標に、
市のホームページに掲載されている『甲府市ウォーキングマップ』を見ながら31地区のコースを歩き、中高年の立場で各コースを紹介していきます。
■これまで歩いたコース
1.東地区Aコース、2.千塚地区北側コース、3.大里地区<アイメッセコース>、4.里垣地区西コース、5.住吉地区全周コース、6.玉諸地区、7.北新地区、8.湯田地区、9.春日地区 、10.石田地区、11.中道地区、12.池田地区、13.国母地区、14.朝日地区、15.甲運地区、16.貢川地区、17.伊勢地区、18.相生地区、19.千代田地区、20.羽黒地区、21.大国地区、22.宮本地区、23.能泉地区
番外編1:「米倉山太陽光発電所」と「ゆめソーラー館やまなし」
番外編2:市立甲府病院 栄養管理士さんのお仕事紹介
****コースの紹介****
第24回は、<相川地区>です。
相川地区は、武田神社を中心に、北は要害山、積翠寺、西は恵運院と武田家ゆかりの神社仏閣が多く、南は山梨大学がある文教地区です。相川地区のウォーキングコースは3コース(西地域、東地域、北地域)があり、今回は武田信玄公の墓のある東地域のコースを歩きました。スタート地点の武田神社の目の前には「信玄ミュージアム」もあります(火曜日休館なのでご注意を)。
『甲府市ウォーキングマップ』p.24に掲載
① 2021年12月14日(火)、武田信玄公生誕500年の年の最後の月に、武田信玄公ゆかりのエリアを散歩しました。天気にも恵まれ、「武田神社」前からマップと飲み物を持っていざ出発!!
② 武田神社前の道を東に進みます。左手に高い石垣が積まれ、長い石段のある「竜華池」が見えてきます。周りには石垣がたくさんありました。
(竜華池については、最後の「見所紹介」をご覧ください)
しばらく進むと「古(いにしえ)の道」の雰囲気を醸し出す道になります。
③ しばらく歩くと「護国神社」の参道横に出ます。
トイレをお借りしてから参拝しました。護国神社は、明治12(1879)年に招魂社として太田町公園隣に建立され、昭和19(1944)年に「山梨県護国神社」として現在地に移ったそうです。
④ 参道入り口の大きな立派な鳥居を出て左に進むと、左側に「龍華山永慶寺跡」の立看板があります。護国神社が建てられた場所は、江戸時代に側用人として幕政を担った柳沢吉保の菩提寺「龍華山永慶寺」の跡地とのこと。永慶寺は享保9(1724)年に大和郡山へ移設されたそうです。
⑤ 道なりに歩いていくと、左手に小高い土手があります。道を上って行くと、個人宅の門で行止りでした。そこから振り返ると目の前に大きな信玄池が、人目を避けるようにありました。このお宅は、池の景色を一人占めですね!!
⑥ 元の道に戻り歩くと、馬頭観音ならぬ「牛供養塔」がありました。珍しいですね。この辺りでは昔、牛も大切に供養されていたようです。
さらに進み霊園の門を通り過ぎていくと、「庚申塔(こうしんとう)」と「甲子供養塔」があります。庚申(かのえさる)の夜、三尸(さんし)が天に昇って人の罪悪を天帝(帝釈天)に告げるといわれており、告げられるとその人の命が縮まるため徹夜して告げられるのを防ぐ行事があり、現在も春と秋の彼岸に行われているそうです。
(三尸…道教で、人の体内に住んでいるという3匹の虫)
⑦ しばらく歩くと、左側に円光院が見えてきます。参道には桜の木が植えられており、寒桜がいくつか咲いていました。陽がよく当たり、明るく優しい感じの参道です。
⑧ 「臨済宗妙心寺派瑞巌寺円光院」は、甲府五山の一つで、県指定史跡。武田信玄公の正室・三条夫人のお墓があります。
山梨県及び甲府市指定文化財の、獅子に乗る「木造刀八毘沙門天像」と白馬の乗る「勝軍地蔵坐像」がありますが、拝観できませんでした。
(※毎年4月に行われる信玄公祭りにあわせて御開帳されるそうです)
鐘楼にある鐘の「池の間」には武田菱が付いていました。
(鐘の頭部:竜頭/りゅうず、腹部:池の間、すそ:駒の爪、突き棒があたる部分:撞座/つきざと言うそうです)
円光院からの眺めも素晴らしいです。
⑨ 来た道を霊園入口まで戻り、信玄公の墓方向の道に進みます。
⑩ 少し歩くと右側に信玄公の墓があります。
元亀4(1573)年、信州伊那駒場にて53歳で亡くなった信玄公は、その後3年間の秘喪を命じたと言われています。この地で荼毘に付し、天正4(1576)年、塩山の恵林寺で葬礼が行われ埋葬され、安永8(1779)年、甲府代官中井清太夫(塩部神明神社に祭られている人)が武田信玄公の石棺を発掘したそうです。
近くには山梨県指定天然記念物の「ヤツブサウメ(八房梅)」があります。一花にめしべが7~8本あり、実は3個に結実する非常に珍しい梅の木だそうです。
⑪ 元の道に出て、向かい側にある北部幼児教育センターの敷地に入り、グラウンドゴルフのコート側に進むと「河尻塚」があります。
塚の謂れは残酷な話で、武田家を滅ぼした織田信長は、目付として河尻肥前守を甲斐と諏訪の領主としましたが、信長が本能寺の変で死んだ際、河尻肥前守は織田家に反感を抱いていた旧武田家家臣や農民に殺害され、逆さに埋められたそうです。在任期間はわずか3カ月とのこと。「さかさ塚」とも言われているそうです。
⑫ その後、マップにはありませんが「大泉寺」をめざしました。元の道を西に進み、最初の十字路を左折します。
道なりに歩いて行くと大泉寺の本堂脇に出ます。大泉寺については「見所紹介1」でご紹介します。
⑬ 境内を一回りしたら、元来た道を戻り途中のY字路で左方面に進みます。
武田通りに出る途中に「引取地蔵」に立ち寄りお参りをしました。江戸時代後半につくられたお地蔵さんで、厄除けを祈願し、全治したときは米の粉の団子を、成仏したときは泥の団子を供えるそうです。
⑭ 西に進み武田通りに出たら右折し、武田神社に向かいます。
しばらく歩いて武田神社にGOAL!!!お疲れ様でした。
**** 見所紹介1 大泉寺 ****
曹洞宗萬年山大泉寺は、大永元(1521)年に武田信虎公を開基として建立された、500年の歴史がある仏閣です。武田家三代(信虎公、信玄公、勝頼公)を祀る御霊殿と信虎公のお墓があります(お墓は県指定史跡)。
総門は、300年も前に建てられたとても古い門で、柳沢吉保の菩提寺「永慶寺」から移設されたといわれており、甲府空襲でも焼けなかったそうです。
総門をくぐると手入れの行き届いた、美しい閑静な参道が続きます。私はこの参道をとても気に入りました。四季による景色が楽しめると思います。
その先に本堂があり、さらに奥に御霊殿と武田信虎公の墓がありました。
**** 見所紹介2 竜華池 ****
竜華池は、大正元(1912)年の大干害を機に、ため池として着工したそうです。土手の長い階段を上ると池が見え、多くの人が釣りをしていました。土手からの展望は気持ちよかったです。
**** コースの感想 ****
<相川地区>の散歩コースは、室町時代に武田信虎公が石和からつつじが崎に居館を移したことにより発展してきた場所なので、武田家関連の神社仏閣が多数ありました。大泉寺、竜華池まで足を延ばしたので、歩数も大満足。大泉寺の参道や護国神社、円光院、竜華池からの眺めはとてもよかったです。武田信玄公も、この場所から、どんな思いで甲府盆地を眺めていたのでしょうか?
今回は東地区のコースを歩いたので、北地区、西地区も散歩してみたいと思います。
****【かずさんの 勝手に5段階評価☆】****
※トイレ、駐車場は、必ず施設の許可を得てから使用してください
甲府市ウォーキングマップ
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/kenkoese/kenko/kenko/kehatsu/walking.html
<参考>
■『こうふ 私の地域・歴史探訪 ~甲府を紐解く31地区の軌跡~』
https://kofu-tourism.com/news/77
■甲府五山
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/koho/kyoiku/bunka/zai/gosan.html
■『甲府31歴史探訪 ♯7相川地区』(甲府市公式YouTube「甲府市ちゃんねる」)
https://www.youtube.com/watch?v=GLOw2RVe3c0