◆〜本と歩こう(45)〜◆
こんにちは。市民レポーターの 杉浦玲子 (すぎうら れいこ)です。
今回は3月8日(水)に行われた「こうふ歴史散策~穴切神社~」のご報告です♪
甲府のまちなか(宝二丁目)にある穴切(あなぎり)大神社は、本殿が重要文化財に指定されています(昭和25年8月29日指定)。
好天に恵まれた当日、中央公民館の芦澤文男館長と、宮司の秋山忠也さんのご挨拶の後、甲府市教育委員会・歴史文化財課の講師・志村憲一さんと金子裕太郎さんのご紹介があり、二手に分かれて、午後1時30分から3時まで、参加者16名が見学しました。
今回は30年ぶりの修復ということで、いざ!足場が組んである本殿へ。通常では間近で見られない屋根部分を、目の前で見ることができました♬
本殿は一間社流造(ながれつくり:正面側の屋根のほうが長い構造)、檜皮葺きで、現在の本殿は1500年代後半(桃山時代)の建立と考えられています。
長年風雨にさらされると檜の皮にカビが発生して屋根が損傷してしまうため、30年に一度くらいは職人の手で葺きかえなければならないそうです。階段を下りて1階部分へ移動。
軒下部分にあたる柱には動物などの彫刻が施され、当時のままの鮮やかな彩色と推定されています。両脇の猪頭や中央の蟇股(かえるまた:八の字がつながったような黒い部分)が、この時代様式の特徴だそうです。
次は、本殿手前の拝殿へ。内部の天井付近には江戸時代の奉納額(絵)が何点か飾られています。その中には、和銅年間(708-715年)の頃、甲斐国一帯が湖水で、時の国司が穴を切り開いて排水し、良田が開発されたという社伝にちなんだ絵もあり。切り開いて開墾した伝説から、穴切神社は運を切り開く、すなわち悪縁を断つ「悪縁切り」のご利益があるとされています。
元々こちらの神社は、黒戸奈(くろとな)神社という名前だったそうですが、穴が切り開かれてからは「穴切大明神」と呼ばれるように。
そして、国造りの開墾時に祈願したという「大己貴命(おおなむちのみこと)」をはじめ、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」と「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」が、穴切神社のご祭神となっています。
拝殿の北側には、神楽殿があります。屋根の上の鳩が歓迎してくれました。縁下組物の形式から、神楽殿は隋身門(江戸時代後期)より少し前の建造物だと推定されています。
ちなみに穴切大神社のシンボルは八咫烏(ヤタガラス)。素戔嗚尊のお使い(眷属:けんぞく)で、太陽の化身でもあり、三本の足があります。三本の足はそれぞれ天・地・人を表すそうです。
手水場には、柳沢家の家臣が寄進したという水盤があります。(裏側に氏名が刻まれています)
甲府市指定文化財の随身門。江戸時代(1974年)建立の三間一戸楼門。大工は下山大工、彫刻は立川流初代による職人集団で建設。
随身門の組木には、見事な動物・植物の彫刻が施されています。
今年の11月末には本殿の修理工事も終わる予定とのこと。その頃また見学会が開催されるそうなので、興味のある方はぜひ穴切神社を散策してみてください♬
★本と歩こう(45)★
【新版】『日本の民話17 甲斐の民話』
土橋里木著 未来社 2015年発行
※出版社の著作権に基づいて書影を使用しています
―民話とは、私たちの祖先が残してくれた「愛と教え」である―
その信念のもとに、甲州各地の語り手から著者が採集した民話の数々。甲州弁で綴られた民話からは、地域ごとの自然や動物との共生、異界との交流や甲州人気質などがいきいきと伝わってきます。巨人の神々の偉業・穴切神社の伝承話「甲斐のみずうみ」も収められています。
―取材へのご協力、ありがとうございました―