◆こうふ亀屋座編◆
こんにちは。今年度の市民レポーター、「かずさん」こと武田和巳(71才)です。私は2022年10月で市のホームページに掲載されている『甲府市ウォーキングマップ』31地区のコースを歩きブログにまとめました。引き続き“健康のために甲府の街を散歩しながら、新しい発見をする”を目標に甲府市の魅力をご紹介していきます。
甲府市31地区コースのブログはこちらにまとめて掲載されています。是非ご覧ください。
****コースの紹介****
今回は広報こうふ1月号の「とびだせ!市民レポーター!」で取材した「甲府城南側エリア」について、載せきれなかったところを中心にご紹介します。
●「甲府城南側エリア」の概要
現在、山梨県社会福祉会館と甲府税務署跡地に整備が進められている「甲府城南側エリア」は、「歴史文化交流施設(愛称:こうふ亀屋座)」「飲食物販等施設(名称:小江戸甲府花小路)」「交流広場」からなり、令和7年4月オープンの予定です。甲府城周辺から武田神社や甲府駅周辺、遊亀公園などをめぐり、甲府の歴史や文化を感じられるようなまちづくりを目指しているそうです。
2024年12月末まで、市役所1階の展示スペースにジオラマが展示されているので、ぜひ見てみてください。
●歴史文化交流施設“こうふ亀屋座”
木造2階建ての約120人収容可能な演芸場で、舞台や升席が設置され、落語や音楽等の発表の場としても楽しめそうです。
「こうふ亀屋座」は江戸時代に甲府(現在の若松町付近)に実在していた芝居小屋の名前「亀屋座」が由来となっているそうです。当時は「甲府で流行った芝居は江戸でも流行る」と言われたほど、賑わいがあったそうです。
※「亀屋座」については下記を参照してください。
https://rekishinomichi-yamanashi.jp/ja/spot/1-144.html
建材の一部には県内産の木材が使われており、太い梁、白木の綺麗な柱も見所です。白木の柱は長い年月であめ色に変色し重厚感が出ると思います。また、1階には6畳ほどの多目的室も作られるそうで、様々な用途に対応できるのではないかと思います。
●飲食物販等施設“小江戸甲府花小路”
黒を基調としたシックな木造2階建ての建物が9棟でき、18のテナントが出店を計画しているそうです。甲府城を中心として城下に栄えた小江戸甲府の雰囲気や賑わいを感じながら、郷土料理、ジュエリー、着物、ジェラート、フルーツなど食事や買い物が楽しめるエリアになる予定です。
北側には、行燈(あんどん)ができていました。台座は石積みでできており、甲府城の石垣と調和していました。
●交流広場
こうふ亀屋座を囲むように交流広場ができます。オープンスペースとして、ブースやキッチンカーによる出店、各種イベントが開催できるそうです。
- 取材の感想
甲府城南側エリアの整備については「小江戸甲府城下町整備プラン(令和4年6月)」の中で詳しく示されており、甲府市の街づくりの考えがよくわかります。
小江戸甲府城下町整備プラン(令和4年6月):https://www.city.kofu.yamanashi.jp/shoko/documents/plan3.pdf
甲府の歴史は、
- 1519年12月20日(こうふ開府の日)に武田信虎公が躑躅ヶ崎(現在の武田神社周辺)に館を移し、館の南側に武士や町人が住む城下町ができたのが始まり。(甲府駅北口エリア)
- その後、武田氏が滅び1590年初頭に豊臣秀吉が甲府城を築城し、これまでの城下町の南側に新たな城下町が形成され、徳川家康の支配下となった。。
- 柳沢吉保が甲府城主となった宝永元年(1704年)以降に大規模な都市整備が行われ、現在の甲府市街地の基礎が形成された。(甲府駅南口エリア)
- 明治時代に甲府城外郭を埋め立てて新市街地を作る。(春日地区、相生地区など)
- 昭和20年7月の甲府空襲で甲府市街地は一面焼け野原となったが、終戦後にほぼ現在の市街地となり、正の木祭りで賑わう遊亀公園付近まで復興された。(湯田地区近辺まで)
このように甲府市は時代とリンクして栄えてきた街で、甲府駅南口エリアが開発されることにより、甲府駅北口から甲府駅南口そして中心市街地と人が連続して回遊でき、「歩きたくなるまちなかの創出」が期待されるそうです。
レンタサイクルも準備されるそうなので、甲府の歴史を感じながら武田神社、甲府城、商業地区の春日地区から遊亀公園と楽しめることと思います。
甲府市最大級のイベント「信玄公祭り」や「小江戸甲府の夏祭り」の来場者も楽しめる場所になると思います。「こうふ亀屋座」でこけら落としが行われる祭には是非行きたいと思います。
建築の様子は舞鶴城公園天守台からよく見えます。甲府市役所10階からは残念ながら建物の陰になり見えませんでした。