アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院右0004 西光寺 (さいこうじ)  門が茅葺だ  浄土宗

2015年03月04日 22時36分50秒 | 寺院

2018年3月18日 の記事

 

嵯峨  大八木 能愛 建立

 

2015年3月4日 の記事

浄土宗の尼寺  法然ゆかりの寺  本堂には 阿弥陀如来坐像(重文 平安時代)がある台座は広隆寺講堂の阿弥陀三尊と同じ形式という

 

扁額 は なんと 読むのかな

 

西光寺 法然上人ご遺跡

当寺は、浄土宗の開祖 法然上人のご遺骸を約7ケ月間お護りした寺院です

嘉禄3年(1227)にお念佛の教えの広まりに反対した僧侶たちが、大谷(現知恩院)の法然上人のお墓を破壊し、ご遺骸を鴨川に流す計画をしました。その企てを知ったお弟子たちが、奥嵯峨の二尊院にご遺骸を移して、お隠ししました。しかし、すぐに知れわたりましたので密かに、当寺にお移ししました。そして、西光寺開祖の来迎房圓空が翌年の1月25日まで、ご遺骸をお護りしました。その後、ご遺骸は京都の西山の粟生野で荼毘(火葬)に付されました。西光寺の御本尊は阿弥陀如来像です。平安初期の作品で、国の重要文化財に指定されています。

 

関連記事 ➔  まとめ022 法然上人

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名水 を 訪ねて  「いさら井」

2015年03月04日 21時58分51秒 | まち歩き

京都市街の地下には 膨大な量の水が蓄えられているらしい

中には使われなくなった 井戸もある

1 いさら井  江戸時代から洛西の名水として知られていました

  広隆寺の西端に隣接

  民家の前にある

井戸枠に いさら井 の 文字が彫られている

 関連記事  ➡  名水を訪ねて


神社中0007 西院 春日神社  落ち着いた 雰囲気でした 

2015年03月04日 06時28分33秒 | 神社

 

四条通にある 案内柱        神社の 幟

 

東参道  第1鳥居  昭和49年(1974年)建立  灯籠は 安永5年(1777年)建立

 

京都 西院 春日神社

祭神  建御賀豆智命、伊波比主命、天児屋根命  比売神

ご神徳  病気平癒、厄除け・交通旅行安全

勧請  平安時代の初期、天長10年(833)2月28日 淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲られ、淳和院(西院)にお移りになりました。此の時、勅命により奈良の春日大社よりご分霊をお迎えし、守護神とされたのにはじまります。

信仰 淳和天皇の皇女、崇子内親王が疱瘡(ほうそう・天然痘)に悩まされたとき、神前の霊石が疱瘡を生じ、内親王の悩みに代わってより以後、皇室から病気平癒や災難除けの守護の神と崇められ、仁明天皇(承和5年7月)、後桃園天皇(安永3年7月)、仁孝天皇(寛政12年2月)、敬宮(天保元年12月)、和宮(弘化3年閏5月)、孝明天皇(慶応2年12月)等、御祈祷を命ぜられてきました。現在でも皇室の崇敬厚く、全国からご祈祷や守札を受ける参拝者があとをたちません。

病気平癒の霊石 「疱瘡石」(ほうそういし)

崇子内親王の代わりに疱瘡を生じて、たちどころに病を治したといわれる「霊石」です。その後「疱瘡石」と呼ばれて信仰を集め、世の人々は病の平癒を願ってこの石を拝するようになりました。また都に疫病がはやる前には必ずこの石の表面がぬれたそうです。普段は祈祷殿に納めてありますが、毎月1日、11日、15日の月次祭の日には本殿内で公開しております。

仁孝天皇御胞衣(おえな)塚

安産や子授け、母体の健康、乳幼児の健やかな生育を祈り、御胞衣塚に白石・子安石を奉納する風習があります。

境内社 還来神社、旅行安全・還来成就の神

梛石(なぎいし)

神前に「梛石」と呼ばれる神石があります。これを旅行者が往きに還りに撫でて祈願し、無事息災、還来成就をなす習慣があります。また、病弱者はこの石を撫でたその手で患部を撫で、健康の回復を祈るところから、後世「撫石」とも呼ばれるようにもなりました。

平成15年記

 

社柱   昭和32年 建立

 狛犬  年代不明

参道脇に ならぶ 石造物

 

第2 鳥居   皇太子殿下 御成年式 記念  大正8年5月7日 建立

          西院電燈共同使用組合

 

手水舎    と  一願蛙(三蛙は、見かえるにつながり、縁起のよい蛙です

 水をかけて御祈願ください  と書いてある)

 

泰山木(タイサンボク)        右は 境内 拝殿 と 本殿

 

平安京 の時代 淳和天皇が この地に 離宮を造った その時の 礎石がこれ

右 文字がたくさん書かれているが なんと書いてあるのか わからない

 

西院村 道路元標  大正時代に 全国的に 設置された  京都市内でも 後 3か所確認している 後日 当ブログで 紹介します

 

  米川 安國 宮司 顕彰碑、文   「奉仕再生」 だろうか 

 

若宮社  と 本殿の鹿

 

本殿前の この 石は 何のために あるのか

お百度のためのようです

 

絵馬

 

 皇族 奉偲乃梅 

 

 

 

 

 

還来神社(もどろぎ じんじゃ) 旅行安全、交通安全をまもる神として信仰され 戦時中は 出征兵士の無事帰還を祈る人で賑わった

 

 

梛石 

 

 

猿田彦 社  右の写真は この祠の中にあったもの

 

 

戦没者 慰霊碑 日清戦争・日露戦争・太平洋戦争 の 方の名がある

 

文化14年 (1818年) 建立    右の鳥居は 西参道第2鳥居 年代不明

 

西参道  手前の 灯篭は 昭和6年建立  第1鳥居は 大正7年 建立

 

 西参道の狛犬  吽(うん)は 右足で玉を押さえている   年代不明

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