四条通にある 案内柱 神社の 幟


東参道 第1鳥居 昭和49年(1974年)建立 灯籠は 安永5年(1777年)建立


京都 西院 春日神社
祭神 建御賀豆智命、伊波比主命、天児屋根命 比売神
ご神徳 病気平癒、厄除け・交通旅行安全
勧請 平安時代の初期、天長10年(833)2月28日 淳和天皇が仁明天皇に皇位を譲られ、淳和院(西院)にお移りになりました。此の時、勅命により奈良の春日大社よりご分霊をお迎えし、守護神とされたのにはじまります。
信仰 淳和天皇の皇女、崇子内親王が疱瘡(ほうそう・天然痘)に悩まされたとき、神前の霊石が疱瘡を生じ、内親王の悩みに代わってより以後、皇室から病気平癒や災難除けの守護の神と崇められ、仁明天皇(承和5年7月)、後桃園天皇(安永3年7月)、仁孝天皇(寛政12年2月)、敬宮(天保元年12月)、和宮(弘化3年閏5月)、孝明天皇(慶応2年12月)等、御祈祷を命ぜられてきました。現在でも皇室の崇敬厚く、全国からご祈祷や守札を受ける参拝者があとをたちません。
病気平癒の霊石 「疱瘡石」(ほうそういし)
崇子内親王の代わりに疱瘡を生じて、たちどころに病を治したといわれる「霊石」です。その後「疱瘡石」と呼ばれて信仰を集め、世の人々は病の平癒を願ってこの石を拝するようになりました。また都に疫病がはやる前には必ずこの石の表面がぬれたそうです。普段は祈祷殿に納めてありますが、毎月1日、11日、15日の月次祭の日には本殿内で公開しております。
仁孝天皇御胞衣(おえな)塚
安産や子授け、母体の健康、乳幼児の健やかな生育を祈り、御胞衣塚に白石・子安石を奉納する風習があります。
境内社 還来神社、旅行安全・還来成就の神
梛石(なぎいし)
神前に「梛石」と呼ばれる神石があります。これを旅行者が往きに還りに撫でて祈願し、無事息災、還来成就をなす習慣があります。また、病弱者はこの石を撫でたその手で患部を撫で、健康の回復を祈るところから、後世「撫石」とも呼ばれるようにもなりました。
平成15年記
社柱 昭和32年 建立


狛犬 年代不明


参道脇に ならぶ 石造物



第2 鳥居 皇太子殿下 御成年式 記念 大正8年5月7日 建立
西院電燈共同使用組合

手水舎 と 一願蛙(三蛙は、見かえるにつながり、縁起のよい蛙です
水をかけて御祈願ください と書いてある)


泰山木(タイサンボク) 右は 境内 拝殿 と 本殿


平安京 の時代 淳和天皇が この地に 離宮を造った その時の 礎石がこれ
右 文字がたくさん書かれているが なんと書いてあるのか わからない


西院村 道路元標 大正時代に 全国的に 設置された 京都市内でも 後 3か所確認している 後日 当ブログで 紹介します

米川 安國 宮司 顕彰碑、文 「奉仕再生」 だろうか


若宮社 と 本殿の鹿


本殿前の この 石は 何のために あるのか


お百度のためのようです
絵馬


皇族 奉偲乃梅






還来神社(もどろぎ じんじゃ) 旅行安全、交通安全をまもる神として信仰され 戦時中は 出征兵士の無事帰還を祈る人で賑わった


梛石



猿田彦 社 右の写真は この祠の中にあったもの


戦没者 慰霊碑 日清戦争・日露戦争・太平洋戦争 の 方の名がある

文化14年 (1818年) 建立 右の鳥居は 西参道第2鳥居 年代不明


西参道 手前の 灯篭は 昭和6年建立 第1鳥居は 大正7年 建立

西参道の狛犬 吽(うん)は 右足で玉を押さえている 年代不明


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動物・石・森に因む所
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