アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

神社中0026  武信稲荷神社 坂本竜馬も登場

2015年03月30日 09時54分49秒 | 神社

藤原武信という人がこの神社の起こりです

江戸時代には摂津尼崎の青山播磨守の京都藩邸にりましたが廃藩後、神社のみが残り付近の産土神として崇拝されるになりました

榎の古木、三神を祀る本殿、多くの末社があります 例祭は5月8日  竜馬とお龍の逸話話としてよく出てきて有名です

 

三条通りアーケードに案内垂れ幕です   東参道です

建立時期

左の鳥居 昭和8年5月  真ん中の鳥居  大正6年6月  右の鳥居 大正11年5月

 

 

     真ん中の参道を進むと   昭和14年5月 建立

 

左の参道を進むと  昭和13年1月 建立

 

 

 

 

東参道を進みます   

拝殿とその奥に本殿です

拝殿と本殿です

本殿にて 

 

狛犬です

絵馬です

末社 天満宮と金毘羅宮です   

右・西参道の鳥居です 大正6年

 

大きな釘抜きが立ててあります   関連記事 ➡ 釘抜き地蔵

 

左・釘抜大明神    右・能勢妙見山 堂吉大明神です

 

左より 白清大明神  七石大明神  太郎松大明神です

 

                          

右・伏見遥拝所です

 

 

 

 

手水舎です

 

                         紀元2600年の石碑です

左 起上大明神です         

右 白蛇大弁財天です

おみくじ表です    

本殿にある勝ち駒です

 

南参道  平成23年建立

 

前回神社記事 ➡  神社下0025 紅梅殿・・「東風吹かば ・・・・ 菅原道真です   

 

 

 


寺院中0022 神泉苑  東寺真言宗

2015年03月30日 09時46分36秒 | 寺院

 

歴史 794年 平安京造営時  桓武天皇が800年に行幸 

 

以来天皇の行幸数知れず824年 空海が降雨をここで祈りました

 

863年 御霊会が行われる 

 

869年 都に悪疫はやり、鎮めるため

 

祇園社から神泉苑まで神輿を担いで巡行

 

これが祇園祭の起こりといわれるが正史にはありません

 

1602年 徳川家康が二条城をつくるため神泉苑の領地を割き取る、

 

最初の10分の1に

 

 現在のものは1607年 筑紫の僧が再興した以来

 

東寺派の寺となりました

 

本堂には 本尊聖観音像  、放生池 、

 

島には善女竜王を祀る 、

 

鐘楼は1646年の銘、

 

供養塔には 快我片桐且元板倉勝重の3基があります

 

恵方社、神泉苑狂言(2014年~は11月実施)

 

 内容は壬生狂言と同じです

 

神泉苑の前の通りを 御池通りといいます

 

  

平安京造営のときに設けられた禁苑で、

中央の放生池の島には、雨乞いの神、善女竜王が祀られている。

後白河法皇の命で、白拍子・静が100人目に

雨乞いの舞を奉納したところ、

見事雨が降ったため「日本一」とほめられたという。

戦功をあげた義経と、池のほとりで出会ったと伝えられている。

 

延暦13年(794)桓武天皇が平安京の造営に当たり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池で、

 

常に清泉が涌き出すことから神泉苑と名づけられた。

 

その境域は、南北4町、東西2町という広大なもので、苑内には大池と中嶋のほか、

 

乾輪閣や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や

 

 

 

遊宴を行ったといわれている。

 

 

 

天長元年(824)春の日旱にこの池畔で東寺の僧空海

 

善女龍王を祀って祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、

 

以後当苑では名僧が競って祈雨の修法を行うになった。

 

また貞観5年(863)には、初めて当苑で御霊会が執行されるなど、

 

宗教霊場として利用されるようになった。

 

現在は、東寺真言宗に属し毎年5月1日から4日間の神泉苑祭には、

 

壬生狂言の流れを汲む神泉苑狂言(京都市登録無形民俗文化財)が執り行われる。 

 

京都市

 

神泉苑と謡曲「鷺」の由来

 

京都の地形は北高西南低で、昔この辺りは湿地帯となっていたが、

それをうまく利用して禁苑としたのが神泉苑である。

かつて広大な地を占め、天皇後遊の庭園として、四季折々に華麗な行事が催されている。

また苑池には水鳥も多く野鳥観察に最適のちともされていた。

源平盛衰記には醍醐天皇の時代、宣旨に鷺さえも羽をたたんて、

かしこまった話がのせられており、

謡曲「鷺」は、これをもとにつくられている。俗に゛五位鷺゛というのは、

このとき天皇から五位の位を賜ったことから、

このようによばれるようになったといわれている。 謡曲史跡保存会

   

善女竜王社です  右は 恵方社です

 

善女竜王社です

善女竜王社です

 

本堂です   

 

無縁仏です  

 本堂に祀られている像です

本堂の扁額です  

提灯

左・香炉です   

右・放生供養塔です

 

池のほとりにありました

左・弁財天です    

右・鯉塚、亀塚です

稲荷社です

 

恵方社では 毎年 12月31日 夜10時半になると 

次の年の恵方に向きを変えて据えます  

社の背中が恵方の方向になるようにしてあります

 

日本で唯一の恵方社です。 神泉苑の歳徳神

 

近辺地域寺社記事 ➡   中京界隈 堀川西・二条城 

関連記事 ➡  義経・弁慶 伝説  源平物語 

寺院前回記事  ➡  寺院右0021  法金剛院 律宗  花の寺    

 

 

 


寺院右0021  法金剛院 律宗  花の寺

2015年03月30日 09時32分15秒 | 寺院

関西花の寺 第13番

待賢門院のお寺です 1130年に待賢門院が再興して現称となりました

池泉回遊式の浄土庭園で特別名勝 「青女の滝」が

平安時代の姿を現在に伝えています

春は 待賢門院桜

梅雨  アジサイ

7月12・13日頃~8月4日頃  90種類の蓮 ハスの寺としても有名

秋  紅葉

法金剛院

五位山と号する、京都では数少ない律宗寺院である。極楽浄土に見立てた浄土式庭園は有名で、平安末期の姿をとどめている。花の寺としても知られ、とりわけ蓮の花の名所として名高い。平安時代の始めに右大臣清原夏野がこの地で営んだ山荘を、没後、寺に改め、双丘寺と称したのが当寺の起こりで、大治5年(1130)に鳥羽上皇の中宮待賢門院が再興し、寺名を法金剛院と改めた。四季折々の美しい景観は、待賢門院を深く慕ったといわれる西行の歌にも詠まれている。その後、弘安2年(1279)に円覚によっり再興され、律宗に改められた。本堂は、元和4年(1618)に再建されたもので、堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像、4本の手を持つ珍しい11面観音坐像、僧形文殊坐像(いずれも重要文化財)などを安置している。また、寺宝として、蓮華式香炉(重要文化財)などの工芸品や書画など多数を蔵している。庭園は、昭和45年(1970)に発掘、復元されたもので、池の北側にある巨石を並べて造られた「青女の滝」は、五位山と呼ばれる背後の山とともに国の特別名勝に指定されている。  京都市

 

 

重要文化財が 多い

 

 

 馬酔木(アセビ)です

 

 近辺地域寺社記事  ➡  花園 

 関連記事  ➡ 待賢門院の御陵

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