アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

地蔵右004 道標右0017  お地蔵さん  兼  道しるべ

2015年03月22日 08時17分59秒 | 道標

ここは 双ヶ丘 三の岡の東山麓

 

右の方には  あたご

左の方には  うつまさ      と 道しるべ

 

道しるべ地蔵

この地蔵と同じように 道しるべを 兼ねた地蔵さんが 愛宕山 山中に あります  

首なし地蔵 と呼ばれています

道標前回記事  ➡  道標東0016  明智光秀塚  

道標次回記事  ➡  道標上0018 京都で一番美しいと言われている 大原口道標 

地蔵尊前回記事  ➡   地蔵右003 大覚寺油掛地蔵尊   嵯峨の地で  

地蔵次回記事  ➡    地蔵中005 お地蔵さんは家の中に                                   

 

 

 


道標東0016  明智光秀塚

2015年03月22日 01時25分13秒 | 道標

三条白川橋を南へ50メートルほど

東梅宮 並 明智光秀墳

あけちみつひて

弘化3年 (1847年)  施主 洛中 柊屋平助

 

角の家は 和菓子 「餅寅」 さんだ  

近辺地域寺社記事  ➡   粟田口  

関連記事   ➡  光秀の塚    詳しくは  有名人 ゆかりの 地 

道標前回記事  ➡   道標西0015-123  西芳寺 あたごみち たんごみち    

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建物中001  旧日本銀行 京都支店   重要文化財

2015年03月22日 01時20分57秒 | まち歩き

現在 文化博物館として使われています

 

現在  国際現代芸術祭 開催中

 

旧日本銀行京都支店 重要文化財

建物の沿革

この建物は、明治36年(1903)9月に着工され、明治39年(1906)6月に竣工した日本銀行京都支店の建物である。日本銀行京都出張所は明治27年(1894)4月に東洞院通御池上るに開設されたが、業務の拡張にともない明治39年7月にこの三条高倉の地に新築移転された。その後、明治44年(1911)6月に出張所から京都支店に名称変更された。日本銀行は昭和40年(1965)10月に河原町通二条に移転され、建物は昭和42年(1967)4月から財団法人古代学協会の所有となり、平安博物館として使用され、昭和44年(1969)3月に国の重要文化財に指定された。昭和61年(1986)4月に京都府に寄贈され、京都府教育委員会文化財保護課により創建当初の姿に修理・復元された後、昭和63年(1988)10月に京都府京都文化博物館の別館として一般公開した。

 

建物の概要

建物は煉瓦造、二階建、一部地下一階、スレート(粘板岩)・銅版葺である。外観は三条通に面して左右対称で、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配している。この意匠は19世紀後半のイギリスの建築によく使われた様式である。両翼には塔屋が付き、屋根には通気塔・採光窓などを設けて変化に富む。内部には旧営業室の吹き抜けのおおきな空間があり、カウンターのスクリーンや壁画の装飾、天井などは時代の雰囲気をよく表している。左右の各室は応接室や所長室として使われていた。二階には上等室、大広間が設けられた。この建物の背後には別棟の金庫があり、渡廊下によりつながっている。金庫棟は煉瓦造、一階建、桟瓦葺である。設計は、明治の建築界の帝王といわれ、東京駅などを設計した辰野金吾(1854~1919)と、辰野の弟子で各地の銀行建築を手がけた長野宇平治(1867~1937)とによる。

 

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