ここは 双ヶ丘 三の岡の東山麓
右の方には あたご
左の方には うつまさ と 道しるべ
道しるべ地蔵
この地蔵と同じように 道しるべを 兼ねた地蔵さんが 愛宕山 山中に あります
首なし地蔵 と呼ばれています
道標前回記事 ➡ 道標東0016 明智光秀塚
道標次回記事 ➡ 道標上0018 京都で一番美しいと言われている 大原口道標
地蔵尊前回記事 ➡ 地蔵右003 大覚寺油掛地蔵尊 嵯峨の地で
地蔵次回記事 ➡ 地蔵中005 お地蔵さんは家の中に
ここは 双ヶ丘 三の岡の東山麓
右の方には あたご
左の方には うつまさ と 道しるべ
道しるべ地蔵
この地蔵と同じように 道しるべを 兼ねた地蔵さんが 愛宕山 山中に あります
首なし地蔵 と呼ばれています
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三条白川橋を南へ50メートルほど
東梅宮 並 明智光秀墳
あけちみつひて
弘化3年 (1847年) 施主 洛中 柊屋平助
角の家は 和菓子 「餅寅」 さんだ
近辺地域寺社記事 ➡ 粟田口
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道標前回記事 ➡ 道標西0015-123 西芳寺 あたごみち たんごみち
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現在 文化博物館として使われています
現在 国際現代芸術祭 開催中
旧日本銀行京都支店 重要文化財
建物の沿革
この建物は、明治36年(1903)9月に着工され、明治39年(1906)6月に竣工した日本銀行京都支店の建物である。日本銀行京都出張所は明治27年(1894)4月に東洞院通御池上るに開設されたが、業務の拡張にともない明治39年7月にこの三条高倉の地に新築移転された。その後、明治44年(1911)6月に出張所から京都支店に名称変更された。日本銀行は昭和40年(1965)10月に河原町通二条に移転され、建物は昭和42年(1967)4月から財団法人古代学協会の所有となり、平安博物館として使用され、昭和44年(1969)3月に国の重要文化財に指定された。昭和61年(1986)4月に京都府に寄贈され、京都府教育委員会文化財保護課により創建当初の姿に修理・復元された後、昭和63年(1988)10月に京都府京都文化博物館の別館として一般公開した。
建物の概要
建物は煉瓦造、二階建、一部地下一階、スレート(粘板岩)・銅版葺である。外観は三条通に面して左右対称で、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配している。この意匠は19世紀後半のイギリスの建築によく使われた様式である。両翼には塔屋が付き、屋根には通気塔・採光窓などを設けて変化に富む。内部には旧営業室の吹き抜けのおおきな空間があり、カウンターのスクリーンや壁画の装飾、天井などは時代の雰囲気をよく表している。左右の各室は応接室や所長室として使われていた。二階には上等室、大広間が設けられた。この建物の背後には別棟の金庫があり、渡廊下によりつながっている。金庫棟は煉瓦造、一階建、桟瓦葺である。設計は、明治の建築界の帝王といわれ、東京駅などを設計した辰野金吾(1854~1919)と、辰野の弟子で各地の銀行建築を手がけた長野宇平治(1867~1937)とによる。
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