2つの名を持った神社だ
交通神社 昭和40年建立 須賀神社 大正 12年建立
鳥居・灯籠は 大正13年建立
美福門院(1117年~1160年 お墓は高野山) 藤原得子(なりこ)
鳥羽法皇の皇后、
近衛天皇の母、
節分の懸想文売り(けそうぶみうり) が有名 容姿端麗になり、良縁を得られる
須賀神社(交通神社)
平安時代末の康治元年(1142)、美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命を主神に、久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を加え、5柱を祀る。
もとの社地は平安神宮蒼龍楼の東北にある西天王塚で、当社は岡崎の東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれた。歓喜光院は元弘2年(1332)の兵火の兵火によって罹災した。その後、吉田神楽岡に転じ、今の地に移ったのは大正13年(1924)のことである。
聖護院一帯の産土神とされ節分祭には参詣者で賑う。5月10日の神幸祭は角豆祭といい、氏子の家々には遠くの縁者も集まる。ささげのつる葉に多くのさや豆がつくように氏子の繁栄を祝う意味であろう。 京都市
2月節分祭に行われる懸想文売りは、当社独特のものとして注目されている。懸想文売りはすでに平安時代に行われていたものを、昭和30年(1955)に復興したもの、烏帽子水干姿に覆面をし、梅の木の枝に結んだ文を希望者に授与する。この懸想文を人知れず鏡台やタンスの引き出しに入れておくと、容姿は端麗となり、着物も次第に増え、果ては良縁を得るといわれている。
本殿の右側が須賀神社、左側が交通神社・昭和39年創祀
狛犬
白龍大明神・稲荷大明神
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