アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑右0023 名勝 双ヶ丘  石碑右0022 清原夏野   古墳右03 雙ケ岡1号墳

2015年03月31日 20時33分29秒 | まち歩き

3つの小山が双ヶ丘です 古墳と石碑と徒然草の吉田兼好の庵が有名です

全貌は地形図で

 

 

(1)の場所には古墳があります 今は埋め戻されています

一の丘と二の丘の鞍部に6基、三の丘に13基の円墳が確認されています

 

山頂から 北の眺望です 仁和寺です

 

西の眺望です 遠くにある中央の小高い山が 嵐山にある小倉山です

 

山頂付近に墓碑がありました 

右大臣清原夏野公墓

明治45年1月 建立

 

石碑 同じものが 東西南北 4ケ所にあります

昭和17年3月 建立 

 

 

アセビ                     ヒイラギ

 関連記事 ➡   まとめ0029  古墳

             蛇塚古墳 (へびつかこふん)

             稲荷古墳の上にある富岡大明神

          史跡  天皇の杜古墳 

         寺院右0027 長泉寺  浄土宗  吉田兼好 墓所

前回石碑記事  ➡ 石碑下0021  軟式野球発祥の地  京都だった 

前回古墳記事  ➡   古墳02 上ノ山古墳  西京区 

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 


神社下0027  文子天満宮 天神信仰発祥の神社  

2015年03月31日 08時50分05秒 | 神社

文子(あやこ)とは 道真公の乳母だった人が文子でした なお、父の名は 是善(これよし)、母の名は 伴氏(ともうじ) です

 日本で最初に道真公を天神様として信仰の対象にお祀りしたことから北野天満宮の前身神社といわれる由縁です

 

文子天満宮

 

祭神として菅原道真を祀り、洛陽天満宮25社の1つに数えられている。社伝によれば、太宰府(福岡県)に左遷された道真は、延喜3年(903)に59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣(おつげ)を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったといわれている。これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。以後、天明、安政、元治の大火で類焼したが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられた。現在の社殿は、大正7年(1918)に造営されたものである。毎年4月16日に近い第3日曜日に、例祭が執り行われる。 京都市

 

狛犬だが 牛さんです

 

本殿です

手水舎です

 

 

                       

 文子殿です

左・白瀧稲荷大明神です   

右・白太夫社、老松社、福部社、火乃御子社と文子像です

左・菅公腰掛石です     

右・北野天満宮遥拝所です

成就社です              

絵馬

 近辺地域寺社記事  ➡  16B 下京 東・東本願寺

前回神社記事  ➡  神社中0026  武信稲荷神社 坂本竜馬も登場 

 

 


陵墓上005 後花園天皇火葬塚

2015年03月31日 01時34分01秒 | 陵墓

後花園天皇火葬塚 です  1470年 崩御 ちょうど応仁の乱の最中 泉涌寺は焼けていてなく、仕方なく ここで火葬したとのことです

 

 陵墓 ⇒ まとめ042  陵墓

陵墓前回記事 ➡  陵墓右004  禮子内親王 陵墓