ここは 太秦の広隆寺より 南に位置するところ
八角形の社柱は年代不明 鳥居は 大正9年 建立
灯籠は 明治 か 昭和 か 判読出来なかった
関連記事 ➡ 西院春日神社
石鳥居の柱が八角形 ➡ 神社右0003 大酒神社 (おおさけ)
神社前回記事 ➡ 神社右0010 市川神社
次回神社記事 ➡ 神社右0012-1 車折神社(くるまざき じんじゃ) 南参道入り口
次回車折神社 ➡ 神社右0012-2 車折神社 表参道 第3鳥居から 本殿まで
ここは 太秦の広隆寺より 南に位置するところ
八角形の社柱は年代不明 鳥居は 大正9年 建立
灯籠は 明治 か 昭和 か 判読出来なかった
関連記事 ➡ 西院春日神社
石鳥居の柱が八角形 ➡ 神社右0003 大酒神社 (おおさけ)
神社前回記事 ➡ 神社右0010 市川神社
次回神社記事 ➡ 神社右0012-1 車折神社(くるまざき じんじゃ) 南参道入り口
次回車折神社 ➡ 神社右0012-2 車折神社 表参道 第3鳥居から 本殿まで
一見 公園のように思ってしまう
由緒書 広隆寺 や 木嶋神社(蚕の社)と関係がありそうだ
貞観13年 (871年) 歴史は古そう
市川神社
祭神 速秋津日子神 男神
祭神 速秋津比売神 女神
速秋津日子神、速秋津比売神共に海の神 三神の一桂であり水戸の神 二神のそれぞれ一桂である 又これらの二神 伊邪郡岐部美神の御子神であり速秋津比売神は速秋津日子神の妻神である
由来
「水戸」はみずの出入する門口である その昔大堰川「桂川」が度々氾濫していたが渡来人である秦一族によって太秦一帯の治水灌漑がなされ水に縁のあるこれ二神が守り神として秦氏によって祀られた
貞観13年4月吉日 従五位を授かり太秦村小字大石中里の神は山王大権現神が祭られている木島神社祭礼の五社の鉾の二番である廣隆寺牛祭祭文の中に
總ては日本国中の大小の神祇田中には阿らねども稲積片山にはあらねども榎本椙本がらき藤の森嵯峨野奥なある一 ふし打れては軈てうさい
祭文の一部である
神社はつねに泥沼の中にあって洪水でいつも水の上に浮かんでいる様であった境内の中央東南の角に御神木の大杉があり〆縄が張ってあり大人5人が手を広げても太く高さ約三十米あったと云うその木も大正後期に雷が落ちてかれてしまった 今の神社の形は昭和中期になってからの姿である
木島神社記
廣隆寺傳自
太秦村誌より
関連記事 ➡木嶋神社 神社右0001 蚕の社 (かいこのやしろ)
寺院右0002 広隆寺 (こうりゅうじ) 「太子さん」とも言われている
神社前回記事 ➡ 神社右0009 石垣町にある神社 名前が書いてない
次回神社記事 ➡ 神社右0011 春日神社 太秦の地です
名前が書かれていない
ここには 愛宕神社 常燈明 とある 明治31年 建立 鳥居は 昭和30年建立
狛犬 砂岩のような材質で もろそうだ 頭が大きい印象
関連記事 ➡ 愛宕灯篭
神社前回記事 ➡ 神社右0008 齋宮神社
次回神社記事 ➡ 神社右0010 市川神社