アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

参考図書・出典

2016年11月05日 14時19分16秒 | 日記

記事を書くにあたって参考・引用している書籍を紹介します

以下の通りです

 

1 昭和京都名所圖絵 竹村俊則

2 京都の地理 正井泰夫

3 京の学校・歴史探訪 京都市学校歴史博物館編集

4 狛犬学事始 ねずてつや

5 京都狛犬巡り ねずてつや

6 京都・滋賀 秘められた史跡

7 京の通称寺散歩 京都新聞社

8 京の墓碑めぐり 竹村俊則

9 京のお地蔵さん 竹村俊則

10 京のご利益さん 田中泰彦

11 京に燃えた女 京都新聞社

12 朝鮮通信使の旅 辛基秀・仲尾宏

13 おんなの史跡を歩く 京都新聞社

14 続・京のご利益さん  田中泰彦

15 京の石仏 佐野精一

16 京の思想家散歩 京都新聞社

17 京の史跡めぐり 竹村俊則

18 名園を探る 高桑義生

19 京都の書 青山碧雲

20 続・京都の書 青山碧雲

21 京都 街角の伝説 黒沢賢一

22 名歌 京都百景 竹村俊則

23 京 花のころ 水野丹石

24 京都 町名ものがたり 鎌田道隆・川嶋将生

25 京都ふしぎ民俗史  竹村俊則

26 京都こぼればな史 辻ミチ子

27 京の駒札 吉田達也

28 続京の駒札 吉田達也

29 神社と神々 井上順孝

30 御土居ものがたり 中村武生

31 新西国霊場 巡礼の旅  京都新聞社

32 京都滋賀 子どもの祭り 京都新聞社

33 幕末明治 京洛の画人たち 原田平作

34 義経ハンドブック 京都新聞社

35 京都の映画80年の歩み  京都新聞社

36 京の石造美術めぐり  竹村俊則・加登藤信

37 京都の石仏 清水俊明

38 京の社寺を歩く  京都新聞社

39 京の七口  京都新聞社

40 京都の仏像  塚本善隆・中野玄三

41 京都の仏像 村田靖子

42 京都の地名を歩く 吉田金彦

43 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック  森谷剋久

44 京都古寺巡礼  川勝政太郎

45 かくれた史跡100選  京都新聞社

46 掘り出された京都  京都新聞社

47 京の口うら 杉田博明

48 京都名庭園 水野克比古

49 京の暖簾と看板 竹本大亀

50 京都老舗 米原有二・藤田あかり

51 京都の大路小路 小学館

52 京都 明治・大正 地図本 鳥越一朗

53 京都時代MAP  幕末・維新編 新創社

54 京都三山石仏・石碑事典 綱本逸雄

平成28年11月5日 現在

 

 

 

 


陵墓山011  天智天皇陵

2016年11月05日 11時25分24秒 | 陵墓

疏水べりに 天智天皇陵の案内があったので 行ってみることにした

 

 

鏡山の山麓に南面して築かれた上円下方墳で、街道より400mの参道の両側には樹木が茂っている。天皇は即位10年(671)12月3日、46歳で大津宮にて崩御され、遺骸は此の地に埋葬された。間もなく壬申の乱によって山稜の造営は中止されたが、28年後の文武3年(699)に至って修造されたと伝わる。中世の戦国時代に陵は荒廃した。江戸時代には陵上に小祠を置き、山科郷人が管理にあたった。

 

 

 

 


関連記事 ➡  石碑山0066

            まとめ042  陵墓

陵墓 前回の記事 ➡  陵墓西010  大枝陵  高野新笠 桓武天皇の母

 

今日の川柳

1つずつ選びここまで来た人生   /五十川

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まち歩き山0232  琵琶湖疏水  橋

2016年11月05日 10時45分02秒 | まち歩き

このあたり 木々が密生しています

 

上流

 

下流

まち歩き

疏水 前回の記事  ➡  まち歩き山0231  琵琶湖疏水  山腹・山裾を流れる

 

今回の川柳

日本に世話になったか考える   /城

 

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まち歩き山0231  琵琶湖疏水  山腹・山裾を流れる

2016年11月05日 08時48分08秒 | まち歩き

 

眼下に街並みが見えます

 

青サギ が餌となる魚を狙っているのでしょうか

 

 

家並みより高いところを 疏水が通っています

 

東海道本線    と  京津電車線

 

まち歩き

疏水  前回の 記事 ➡  まち歩き山0230  琵琶湖疏水 安祥寺へ行く橋

 

出世組消えて二次会盛り上がり    /河原

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寺院山0214  安祥寺  五智如来坐像五体

2016年11月05日 06時26分30秒 | 寺院

 

吉祥山と号し、仁明天皇女御藤原順子が入唐僧恵運僧都を開山として創建された真言宗の名刹。嘉祥元年(848)8月造営に着手し、仁寿元年(851)に竣工した。常灯料として山城国の稲一千斤を施入し、定額寺に編入された。その寺域は現在のJR山科駅をほぼ中央として東西約1キロ、南北約1.5キロにわたる広大な地を占めていた。斉衡3年(856)10月、山林50町歩を寺有地として施入され、伽藍が造営された。

多くの堂舎僧房が建ち、国家安穏の祈祷道場として寺運は隆昌になった。平安末期に勧修寺長史が当寺を兼帯すると、寺運は衰退に向かった。中世の戦国時代には荒廃し、近世は高野山宝性院に属し、俗に「高野堂」とよばれた。現在の建物は宝暦年間(1751~64)に再建で、本堂には11面観音像を安置する。他に地蔵堂、開山堂、鎮守社等の建物がある。寺宝の五智如来坐像五体は、京都国立博物館にある。上寺の五大堂本尊五大虚空蔵像は東寺観智院に移されている。鐘楼は嘉元4年(1306)在銘の銅鐘がある。この鐘はもと大阪渡辺にあった安曇寺の旧物と伝わる。

 

五智如来坐像五体

この五智如来像は安祥寺下寺の多宝塔に安置されていた仏像で、金剛界大日如来像を中心に阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就の4如来を配している。如来像も大日如来の5種の智を分担するするため、五体の如来に分化した。

寺院 前回の記事  ➡  寺院滋賀0213  寂光寺  日蓮宗 立正山 藤尾の磨崖仏

 

 

 

 

答えではなくあいづちがほしいグチ   /けれど

 

 

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