逢坂の関の初出は、平安京遷都の翌年延暦14年(795)に逢坂の関の前進が廃止されたという『日本紀略』の記述です。
その後、逢坂の関は京の都を守る重要な関所である三関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)のひとつとして、弘仁元年(810)以降、重要な役割を果たしていましたが、平安後期からは徐々に形骸かされその形を失ってきました。
逢坂の関の位置については現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある辺り)の周辺にあったともいわれますが、いまだにその位置は明らかになっていません。
車石
逢坂常夜燈
旹寛政6年 甲寅 11月(1794) 建立
4人の名が記されています
願主 大津/米屋中
北国屋仁兵衛 他3名
車石 ⇒ まとめ005 車石 のあるところ
同じ常夜燈 ➡ 祠滋賀020
まち歩き 前回の記事➡ まち歩き滋賀0261 歌碑 逢坂の関、逢坂山を歌った 蝉丸・清少納言・三條右大臣
川柳
徳のほか地位カネ名誉みんな持ち /小野寺逆
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