アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

人物003  織田信長 

2016年11月18日 23時46分27秒 | 人物数々

 

織田信長****** 

京都市内で 墓所とされているところは 次の5ケ所です

1  妙心寺内の玉鳳院      信長・信忠の石塔がある

2  大徳寺塔頭 総見院     信長・信忠・信雄等 織田家一族の墓がある

3  寺町今出川上ル  阿弥陀寺 信長父子および森蘭丸ほか120名の墓がある。

                     本堂には信長・信忠の影像が安置されています

              6月2日 催事あり

             

4  寺町御池下ル  本能寺   信長・信忠父子供養塔 本能寺の変に斃れた人の慰霊塔がある

5  円山公園南  大雲院    信長・信忠の墓

    ➡  有名人ここに眠る

6  天道神社

7  旧 二条城  の 築城

8  建勲神社  

    薬師院

10   二条殿

11  浄慶寺     

12  見性寺  織田信長の庶子 村井重勝  

13     本能寺跡1   本能寺址2   

14  真如院  

15  妙覚寺  日蓮宗

16  寺院下0038  春長寺  浄土宗   織田信忠の家臣・本能寺の変で戦死・菩提寺 

 


人物000 人物列記

2016年11月18日 16時22分50秒 | 人物数々

 

001  人物001  木食養阿上人

002   人物002  人康親王 記事のまとめ

003  人物003  織田信長

004  人物004  伏見義民

005  人物005  黒田官兵衛

006  人物006  小堀遠州 

007  人物007  山脇東洋

008  人物008  北垣国道

009  人物009  荷田春満

010  人物010  角倉了以

011  人物011  坂本 龍馬 

012    まとめ022 法然上人

013  人物013  菅原道真 ゆかりの地

014  人物014  畠山勇子

015  人物015  弁慶

016  人物016 佐久間象山  

017  人物017  惟喬親王

018       清少納言

019  和泉式部

020  吉田兼好 兼好法師

021  今尾 景年

022  与謝野 晶子

023  本阿弥 光悦

024  秋山 自雲

025  安阿弥

026  在原業平

027  淳和天皇

028  北大路魯山人

 

 

 

 

 


人物002  人康親王 記事のまとめ

2016年11月18日 16時09分48秒 | 人物数々

1  諸羽神社  琵琶石  ➡  諸羽神社

2  山荘跡石碑   ➡  石碑山0076  この付近 人康親王山荘跡  

3  御陵  ➡   陵墓山012   人康親王

4  小祠  ➡   石仏山009  泉水町の三尊石仏

5  石塔 徳林庵  ➡ 徳林庵・山科地蔵  六地蔵めぐり

 

 

川柳

 

八十路だぜ誰に遠慮をするもんか  /青二斎

 

 

 


石碑山0076  この付近 人康親王山荘跡  

2016年11月18日 08時43分42秒 | 石碑

諸羽神社 境内・参道脇の右手に

此の付近  人康親王 山荘跡

 

人康親王 関連記事  ➡  陵墓山012   人康親王

                                   石仏山009  泉水町の三尊石仏

         諸羽神社の琵琶石  ➡    諸羽神社                       

石碑 前回の記事 ➡  石碑中0075  正五位長尾郁三郎武雄旧邸

 

 

川柳

交番は手持ち無沙汰のままがよい  /たんこぶ

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください

 

 


寺院山0222  円光寺  大谷派

2016年11月18日 07時13分20秒 | 寺院

 

寺号標

大谷派  円光寺   昭和12年3月建立

 

門までの途中に 踏切が見えます

 

寺院 前回の記事  ➡  寺院右0221  念佛寺  1200年前、伝教大師の母がこの地で過ごし亡くなる

 

川柳

給料を聞いて彼女はそれっきり    /比呂凡

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください


石鳥居242基  諸羽神社の石鳥居

2016年11月18日 05時58分16秒 | 石鳥居

 

社号標   郷社 諸羽神社

 

参道が ずっーと続く  

天孫降臨の神話の中で、瓊瓊杵尊の左右に従った天児屋根命と天太玉命を祀るところから、雨羽大明神と称したという。

貞観4年(862)清和天皇の勅命にこの地に社殿を建てたのが当社の始まりとされる。この後、正殿に応神天皇、脇殿に伊弉諾命、素戔嗚尊、若宮八幡宮を合わせ祀るようになり、

社名の「雨羽」の文字を「諸羽」に改められた。社殿は応仁の兵火により焼け、その後もしばしば火災に遭った。

当社は山科十八郷の中で第4番目に当たるとされ、古くは「四ノ宮」と呼ばれて、この付近の産土神として人々に崇敬された。神社の背後の山は諸羽山といい、平家物語の中に「木曽、もろは山の前、四の宮川原に打出て・・・」と記されているのは、当社周辺のことである。  京都市

 

関連記事  ➡  諸羽神社

石鳥居 前回の記事 ➡  石鳥居241基  日向大神宮  社号標 と 安養寺 寺号標  仲良く同居ですね

 

川柳

その道のおたくテレビじゃアナリスト   /上沼

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます。試してみてください