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まち歩き山0240  琵琶湖疏水 日本初コンクリート橋

2016年11月07日 16時10分26秒 | まち歩き

 

日本最初の鉄筋コンクリート橋

 

 昭和五十二年八月   京都洛東ライオンズクラブ寄贈

日本初コンクリート橋

 大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水口から山科・蹴上を経て京都市内に至る琵琶湖第一疏水のうち,第三墜道の東口に架けられた,日本最初の西洋式鉄筋コンクリートで造られた橋。明治36(1903)年7月に竣工した。この石標はその橋を示すものである。

 

 

上流

 

下流  

 

本邦最初鉄筋混凝土橋

明治三十六年七月   竣工

 米蘭式鉄筋混凝土橋桁

 工学博士田辺朔郎書之

 

琵琶湖第1疎水のうち第3トンネル東口に、100年も前に造られた日本最古の鉄筋コンクリート橋(疎水11号橋)がある。現在も利用されている。橋を渡った左側にこの碑が建つ。(高さ216cm、幅85cm、奥行き14cm)

碑文正面に「本邦最初鉄筋混凝土橋」

背面は「明治36年(1903)7月竣工 米蘭式鉄筋混凝土橋桁 工学博士田邉朔朗書之」

橋の長さは7.3m 幅は1.5mのアーチ型。コンクリートの厚さは約30㎝ 当初柵はなかったが、現在は左右に転落防止のため設置されている。

工部大学(東京大学)を卒業したばかりの青年技師・田邉朔朗は、セメントと鉄筋は輸入しながらも、他の建設資材は現地に煉瓦工場を造るなど工夫を重ね、国内から調達した。「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」碑が地下鉄東西線御陵駅入り口に建っている。

碑文にある「米蘭式」とは「メラン式」というコンクリート工法の一種で、田邉朔朗が日本に紹介した。ただ、この橋が日本最初のアーチ式鉄筋コンクリート橋かどうかは議論があり、ほぼ同時期に、神戸市にある「若狭橋」も建設されている。若狭橋がこの橋より1ケ月早く完成している。ただ、若狭橋はフランスのスラブ型である。スラブ型というのは鉄筋コンクリート板を並べる方式なので、コンクリートの中に山形鉄を配置したドイツ型のメラン型より古い様式といわれる。「メラン型日本最初の鉄筋コンクリート橋」である。

若狭橋は「スラブ型日本最初の鉄筋コンクリート橋」である。

 

まち歩き

疏水  前回の記事  ➡  まち歩き山0239  琵琶湖疏水  橋

 

 

今回の川柳

 

 

 

LED 使い切るまで 無い寿命     /佐々木

 

 

 

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まち歩き山0239  琵琶湖疏水  橋

2016年11月07日 10時34分30秒 | まち歩き

 

上流  手前で 少し広くなっている

 

下流 次の橋が見えています

まち歩き

疏水  前回の記事 ➡  まち歩き山0238  琵琶湖疏水 第2トンネル西口

 

今回の川柳

 

野良犬にあうと一声掛ける癖    /二宮

 

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まち歩き山0238  琵琶湖疏水 第2トンネル西口

2016年11月07日 08時53分38秒 | まち歩き

第2トンネルの西口

 

第2トンネル西口の扁額

随山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)

西郷従道(さいごうじゅうどう)

意味 山に沿って行くと水源にたどりつく

琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885)に建設を始め、明治23年(1890)に第1疎水が完成しました

疎水の水は、水車動力、舟運、灌漑、防火などに使われ、つらに日本初の事業用水力発電に用いられました。生み出された電力によって、工業が発達し、日本初の電気鉄道が走るなど、京都はにぎやかさを取り戻していきました。琵琶湖の豊かな水を引いたことは、京都の発展をもたらしたのです。多くの恵みを京都にもたらした琵琶湖疏水は、今も水道や発電などの水として、市民の生活を支える源となっています。

 

下流から トンネル西口を見る

 

まち歩き

疏水    前回の記事  ➡  まち歩き山0237  琵琶湖疏水 第2トンネル東口

 

今回の川柳

 

くれるならどっちを取ろう時と金    /荒川

 

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寺院山0215  永興寺

2016年11月07日 08時05分21秒 | 寺院

 

承陽大師霊場   曹洞  永興寺

 

 

 

無量山  永興寺

 

 

 関連記事 ➡  まち歩き山0236  琵琶湖疏水  永興寺へ行く橋

寺院 前回の記事  ➡  寺院山0214  安祥寺  五智如来坐像五体 

 

今回の川柳

 

幸せはなるものでなく気付くこと   /イタチ男

 

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まち歩き山0237  琵琶湖疏水 第2トンネル東口

2016年11月07日 06時32分30秒 | まち歩き

 

 

第2トンネル東口

扁額  仁以山悦智為水歡

(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)

井上馨(いのうえ かおる)

意味 仁者は動かない山によろこび、智者はながれゆく水によろこぶ

 

 

琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885)に建設を始め、明治23年(1890)に第1疎水が完成した

疏水工事は、外国人技術者の力を借りず、日本人の手だけで行われた一大プロジェクトでした。費用は当時のお金で60万円が見込まれていましたが、念入りな工事を求める明治政府の意向で、当初の2倍以上となる125万円の予算(京都府の予算の約2倍)が組まれました。

第2トンネルの付近、現在の山科区原西町(地下鉄東西線御陵駅付近)には、疎水に使う煉瓦の工場が作られ、約1400万個もの煉瓦が作られました。

 

 

 

トンネルの壁にロープが張ってある。

疏水は、川底が、蒲鉾をひっくり返したような作りになっていて、

舟がトンネルを行くとき、櫂が用をなさなくなる。

その代わりに、舟人たちはロープをたぐって舟を上流へ引き上げた。

 

まち歩き

疏水   前回の記事 ➡  まち歩き山0236  琵琶湖疏水  永興寺へ行く橋

 

今回の川柳

 

動機って不純な方がヤル気出る    /いよかん

 

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