深草 加賀屋敷町
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川柳
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柵を設置するときには すでにここにあったようだ
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太陽と思った人が今空気 /イーちゃん
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清凉山と号する曹洞宗の寺。はじめ深草の興聖寺内にあった寛喜2年(1233)まで道元禅師が此の地で教化に務め、当寺を創建したといわれる。当初、真言宗であったが応仁の乱(1467)後曹洞宗となり、天正年間(1573~92)の頃、僧告厭が中興し浄土宗に改められ現在の地に移った。さらに文化年間(1804~18)にもとの曹洞宗に改宗した。
曹洞宗の宗祖、道元禅師の「深草閑居」の旧跡として知られる。本尊が「伏見の大仏さん」 本堂内陣の中央に、寄木造りの毘盧遮那仏で、高さ5.5m。木造では日本一の大きさといわれる。体内銘によると、頭部は安永3~5年(1774~1776)、胴は寛政3~8年(1791~1796)り製作とある。「どんな仏師がなんのためにつくったのかわからないそうだ。文献も残っていない」とのこと。江戸時代の義民一揆の犠牲者の供養に発願されたとの説もあるがはっきりしていない。大仏殿はかつて現在地より少し西よりに建っていたが、前年に東山区の方広寺の大仏殿の全焼を教訓に昭和40年鉄筋コンクリート造りに建替えられている。大仏のそばには、釈迦・弥陀・大日三如来の合体仏といわれる異相の阿弥陀坐像や道元禅師の石像を安置している。
京都市内に小野小町(小町塔)とつたわるものが、3ケ所ある。
山科区小野御霊町 随心院
伏見区西桝屋町 欣浄寺
左京区静市市原町 小町寺
伏見区にある小町塔は、小五輪石塔からなり、深草少将塔とならんでいる。ここは深草少将の宅跡といわれ、少将はここから山科小野の小町のもとへ百夜かよったという伝説に因んでつくられた供養塔である。塔の傍らには「少将姿見の井戸」があって、「涙の水」ともいわれたが、今は埋没している。
少将と小町の供養塔がまるで、二人が夫婦であったかのように並んでいる。願いが叶わなかった少将の涙水だという深草少将遺愛の井戸が残っている。欣浄寺から随心院までは、およそ5キロ、往復10キロになる。
背後の竹藪の中には「少将通い道」といわれる小路があって、秀吉の伏見在城の頃、訴訟あるものはこの道を通ると願い事が叶わなかったと伝わる。今は、そのような道はない。宅地になっている。
池畔には「昭宣公塔」と称する小五輪塔がある。
また、道元禅師の詩碑がある。
3つある塔の内、 左の石塔が 小野小町 その隣の中央のが 深草少将の石塔
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旅館でもまめに灯を消す貧乏性 /赤井
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