宇治は古今交通の要衝。鎌倉時代の橋合戦、宇治川の先陣争いがあったのもここが川渡り場だった。激しい流れの宇治川と、それを囲む宇治の山々の静けさ。古来宇治は、文学の舞台として登場した。万葉集でも多くの歌が取り上げられています。
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宇治は古今交通の要衝。鎌倉時代の橋合戦、宇治川の先陣争いがあったのもここが川渡り場だった。激しい流れの宇治川と、それを囲む宇治の山々の静けさ。古来宇治は、文学の舞台として登場した。万葉集でも多くの歌が取り上げられています。
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正しくは千光寺といい、黄檗宗に属する。嵐山の中腹にあって、保津川を見下ろし、対岸の小倉山をへだてて京都市中をのぞむことができる。当寺は慶長年間(1596~1615)保津川をきりひらいて舟や筏を通した角倉了以が、工事のために協力した人々の菩提を弔ううために創建した寺で、観音の慈悲をたたえて大悲閣と号したのが起こり。本堂には千手観音像を本尊とし、脇壇には右手に石割斧をもち、太い縄の円座の上に片膝を立てて坐した法体姿の了以像(江戸時代)を安置する。狭い境内には了以の嗣子素庵が建立し、林羅山が撰文した「河道主事嵯峨吉田了以翁碑銘」と記した顕彰碑があり、またそのそばには嵐山山頂ににあった無窓国師の座禅石とつたえる大きな石がある。
保津川
関連記事 → 人物010 角倉了以
寺院 前回の記事 → 寺院木津川0511 海住山寺 国宝・五重塔
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桂川と 渡月橋
桂川と 渡月橋
向こうの山は 比叡山 手前 右端の山は 双ヶ丘
左の方は 嵯峨野 一帯
広沢の池も見えます
新丸太町通り と 双ヶ丘
関連記事 ➡ まとめ007 京都市内の眺め
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き右0942 対岸は千光寺かな
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