国宝 西院御影堂 司馬遼太郎
私は毎年、暮から正月にかけて京都のホテルですごす習慣をもっている。訪ねてくるひとに京都のどこかの寺をそのときの思いつきのままに案内するのだが、たいてい電話での約束のときに、東寺の御影堂の前で待ちましょう。ということにしている。
今日の寺寺を歩くには、やはり平安京の最古の遺構であるこの境内をし出発いるのがふさわしく、また京都御所などよりもはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見、その前にたち、しかるのちに他の場所に移っていくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、そういうぐあいに自分をなじませてしまっている。空海に対する私の中の何事かも、こういう御影堂へのなじみと無縁でないかもしれない。
大師堂(御影堂) 国宝・南北朝
もと西院とよばれ、弘法大師在世時の住房とつわっています。入母屋造り、檜皮葺きの屋根2棟が複雑に混み入って建っているが、外面は蔀戸をはめ、妻唐戸を用いて、一見寝殿造りをおもい思わせ。
康暦2年(1380)の再建で内部は前堂と後堂からなり、前堂には弘法大師座像(重文・鎌倉)、後堂には大師自作とつたわる不動明王座像(国宝・平安)や宣陽門院寄進の五重小塔(重文)を安置する。壁画には、徳力善雪筆「弘法大師行状図」等がある。
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天皇・皇后両陛下東寺行幸・・ と書かれています
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大師堂前にある。銅鐘(南北朝)は四方に撞座を設け、池の間には、金剛界4仏の梵字をあらわしている。
貞和4年(1348)の鋳造とつたわる。無銘。
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