西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明しこの石清水八幡宮境内に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り電球発明の翌年から10数年もの永い間この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
そこで1929年に電灯発明50年を記念して世界各地で電灯黄金祭が催されたとき、日本もこれに加わり記念事業の1つとして電球の発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建てエジソンの功績を永久に伝え讃えることになったのです。最初にたてられたのはこの境内北側に続く場所でしたがエジソン彰徳会の手で昭和33年にここに移され更に昭和59年10月に現在の姿に再建されました。
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松尾山を尾根づたいに歩きますので 京都市内を一望できます
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織田信長と八幡
織田信長は、各地の大名やその家来たちが、たがいにくり広げる戦国時代に、尾張守護代の奉行の家に生まれました。身内の争いをおさえて尾張を統一した信長は、27歳のときに今川義元を滅ぼし、さらに岐阜城に入って天下統一をめざしました。足利義昭を将軍に立てて京都に入りましたが、信長に対する勢力は多く、義昭も信長にそむくようになりました。そこで、義昭をおさえ、追放したのです。信長40歳のときで、室町幕府は1573年に滅びました。
1579年12月、46歳の信長は、京都の山崎に陣を構え、宝積寺に滞在していました。その時、石清水八幡宮の使者が信長のもとを訪れたのです。使者は、八幡宮が戦国の世にあって、朝廷からの保護もなく建物がいたんでいるので何とかしてほしいというのです。聞けば、本殿の内殿と外殿の間の木製の樋がくさり、雨漏りがするとのことです。信長は山城の代官をよび、さっそく修理しました。
修理は大がかりなもので、鍛冶や番匠(大工)、葺師、鋳物師、瓦焼の職人などが集められました。修復された樋は長さ約22m、幅50cm、深さ21cm、厚さ3㎝のものです。金銅製で漆金箔がはられていたので「黄金の樋」とよばれ、今でも使用されています。本殿を囲む築地塀もその時に修造されたとのことです。
その後信長は八幡宮に参詣しました。武運長久、家門繁栄を祈ったのかもしれません。本能寺の変で、家臣の明智光秀に殺されるのは2年半後のことです。
謡曲「弓八幡」と石清水八幡宮
謡曲「弓八幡」は、男山八幡宮の神徳をたたえ、威武の聖代を祝う曲である。この謡を「弓八幡」と名づける事は、八幡大菩薩は源氏の氏神弓矢の守護神であるから弓と矢と幟との3つの兵具に訳して弓矢幡と名づけたのである。とある。直ぐな御代のためしであるこの祝言は、弓矢を以て戦勝を祝うのではなく、弓を袋に入れて武をおさめるのである。
作者世阿弥は平和論者である。武家中心時代において平和論を唱え、将軍専横時代於いてとりわけて皇室を尊敬し奉る。これが一能役者の見識であり熱情であったのである。と謡曲大観は論じている。本宮は、貞観元年行協和尚が宇佐八幡に参籠して神告を受け、奏請して建立したという。
謡曲史跡保存会
足利義満は能をたいへん好み、とくに、世阿弥をひいきにしました。その世阿弥の作った謡曲(能の台本)に「弓八幡」があります。
物語は、都からやってきた天皇の家来が、石清水八幡宮で袋に納めた弓を持つ老人をみつけます。老人は「私は長年この八幡宮に仕えている者で、天皇に弓を捧げようと、あなたが来るのを待っていました。」というのです。弓をわたす時、「弓は袋にしまい、戦わずして天下を治めるように。これが神のお考えです」と言って消え去りました。その老人は高良神社の神様だったのです。
物語の後半は、高良の神様が姿を現し、この世が栄え、八幡宮の神徳をたたえ、舞を舞うのでした。「弓八幡」は、戦わずして世を治めることを説いているのです。
徳川家康と八幡
家康は八幡に関心がありました。自分自身が源氏の出身であり、源氏の氏神が八幡神であったからであり、その八幡神に戦勝を祈願したかったからかもしれません。
関ケ原の合戦で勝利した家康は、八幡の所領を、検地免除と「守護不入」の土地にしました。検地がないということは、八幡の所領は、石清水八幡宮の社務を中心に支配してよいということです。「守護不入」とは、他の武士たちが八幡について口出しできないということです。
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