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46 宇治田原  地区 寺社記事検索一覧

2018年12月30日 16時35分21秒 | 寺社数々

1 宇治田原

2 郷之口

3 蕪村句碑

4 田原又太郎塚

5 龍雲寺

6 御栗栖神社

7 くつわ池

8 高尾

9 一ツ井

10 山滝寺址

11 田原天皇社址

12 大宮神社

13 岩山

14 双栗天神社

15 双栗天神社

16 大岩山

17 真言院

18 巌松院

19 禅定寺

20 美女石

21 真言院

22 建藤神社

23 猿丸神社

24 大道寺

25 信西塚

26 茶祖永谷宗円旧棲宅

27 湯原寺址

28 天神社

29 正寿院

30 元性院

31 医王教寺址

32 奥山田化石層

33 鷲峰山

34 金胎寺




 

 


神社右0148 今宮神社

2018年12月30日 14時14分55秒 | 神社

 

 毎年 10月16日の例祭には 神輿の巡幸がある。

境内には、寛永21年(1644)仁和寺門跡、覚深法親王造営の本殿および拝殿、社務所、末社がある。

 


今宮神社本殿(いまみやじんじゃほんでん) 京都市登録文化建造物

 

 当社は仁和寺の鎮守社であった。本殿は大型の一間社流造で,寛永21(1644)に徳川家光の援助による仁和寺再興の一連で造営された。同じく仁和寺の鎮守社であった福王寺神社本殿(重要文化財)は春日造だが,造立年代は当社と同じで細部手法も共通する。


 三条天皇の長和4年(1015)夏、疫病が流行したとき、宣託によって創始された。後冷泉天皇の永承7年(1052)の夏、再び、疫神が現れたので、御了解が執り行われたことが、『続古事団』にみえる。

 

 

 拝殿

 

 

 

 

 

 

 

 関連記事 ⇒ 神社右0037  今宮神社 (右京区) 御霊社の1つ

 神社 前回の記事 ⇒ 神社南0147  宇賀神社

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石仏右031  遍照寺の石仏 と 石柱2本

2018年12月30日 10時55分40秒 | 石仏

 

 

 

 

 


2本の石柱の左側のもの

 

 

 

 

石柱2本の 右側のもの

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏左030  蹴上  大日如来  義経が関係しているのか

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寺院左0532 峰定寺  重要文化財

2018年12月30日 06時21分46秒 | 寺院

 平成29年10月 撮影

 

 

 

 

大悲山(だいひざん)は、平安末期の久寿元年(1154)山岳修験者観空西念によって峰定寺が創建されて以来、山全体が山岳信仰の霊境となっています。指定地域は、その南斜面で古くから自然が守られてきたところであり、今日モミ、ツガのすぐれた天然林となっています。この森林では、ヒメコマツ、ホンシャクナゲ、ヒカゲツツジなどの貴重な植物や豊富なシダ植物の群生地が見られます。また、峰定寺本堂、仁王門、由緒ある行場等が周囲の自然環境と一体となって歴史的風土が保持されています。


 

金剛力士像はなかった

 

峰定寺(ぶじょうじ)は、平安末期慰安末期の仁平4年(1154年)山岳修験者の観空西念が創建し、同年4月鳥羽上皇の勅願により不動明王・毘沙門天像が奉納されました。寺の造営には、少納言藤原信西が奉行となり、工事雑掌として平清盛が任命され、平治元年(1159年)に仏舎利、16羅漢画像を奉納したと伝えられています。現存する本堂や仁王門などの建物は、いずれも鎌倉時代末期の貞和6年(1350年)の再建によるもので、延宝4年(1676年)、後西上皇が聖護院宮道祐法親王に詔し、貴船の成就院の僧元快上人を当寺の住職として再興せしめられてより、聖護院の支配下となり、大和大峰山になぞらえる修験道練行の道場となった。仁王門に安置された金剛力士像などとともに、重要文化財に指定されています。 京都府

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 関連記事 ⇒ まとめ045 京都府の重要文化財・国宝 建物

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0531 東寺 南大門

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