駒札が朽ちて読めない
若王子神社
永暦元年(1160)後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請せられ祈願所とされた正東山若王子の鎮守であったが、明治初年の神仏分離によって当社のみが今日に残ったのである。
夷川通りに鎮座せられていた室町時代作の恵比須を祀っている。足利尊氏、義政が、この地に花を愛で宴を開いたと伝えるが今日でも東方山中に瀑布が有り奇岩老樹も多く、夏は納涼地、秋は紅葉の名所として聞こえている。
社殿は度々荒廃し、明治の修築の際本宮、新宮、那智、若宮などがあったが、現在は1社相殿になっている。
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明治維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗した時、丹波の国北桑田郡山国村(現在・右京区京北)の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模したものです。
三斎羽織(さんさいはおり)に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊(しゃぐま)をかぶり、脚絆、足袋、草鞋をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿です。また、肩章をつけ階級を表しているところなど、近代の軍制への過渡期を示しています。
この山国隊は、時代祭の始まった当初より同村有志が奉仕していましたが、大正10年より朱雀学区が引継いで現在の名称で奉仕しています。
錦旗 勤王隊列
隊長
参謀・司令長
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