胎内くぐり
笠置山修行場の入口にあり、行場入りする前に滝で身を清めるのが普通であるが、当山は滝がないためこの岩をくぐり抜けることにより身を清めたという。安政地震で天井岩が落下、以後切り石の天井となった。
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胎内くぐり
笠置山修行場の入口にあり、行場入りする前に滝で身を清めるのが普通であるが、当山は滝がないためこの岩をくぐり抜けることにより身を清めたという。安政地震で天井岩が落下、以後切り石の天井となった。
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池大雅の妻
本名は町、柳沢淇園(やなぎさわきえん)や夫から画業を学ぶ、大雅より4つ年下とされている。八坂神社南門の近くの名物茶屋の娘であった。初代は祖母の梶・母の百合・そして町の三代続いた。大雅は東山双林寺門前や八坂神社境内でむしろの上に自らの書画を並べて商っていた。大雅30歳、町26歳の頃夫婦となった。大雅はふらりと家を出ると1ケ月も家に帰らず画を描いた。そんな大雅を町は大きく包み込むように見守り、動ぜず留守を守った。二人は終生仲睦まじく暮らした。大雅は1776年(安永5年)、54歳で亡くなった。玉蘭はその後も8年間、茶屋を守りながら過ごし、1784年(天明4年)56歳の生涯を終えた。
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